続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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あるイラク難民女性

今年の1月、ある英語学校の試験に行ったときに、偶然イラク難民女性に出会った。50代くらいでバクダッド出身、産婦人科医をしていたという。難民としてシドニーにやってきたばかりで、政府の移民支援の一環として英語を無料で勉強できるので、シドニーで医師の資格取得にチャレンジするために勉強したいという。

オーストラリアは一般的に難民の受け入れ国で、現労働党政権も移民政策には手厚いと言われている。町のいたるところで、たとえば移民が無料で勉強できる英語学校や医療機関受診のパンフレットにも、「難民の場合はこの限りではないので、さらなるサービスについては問い合わせて下さい」といった表記がある。

落ち着いた彼女の物腰とどことなく寂しげな笑顔。「バクダッドですか。訪問したことがあります。」「いつ?」「2002年と2003年と。」「一番大変な時期じゃない。何かの支援団体から行ったの?」「そんな感じです。」そのときのバクダッドの状況を知っているだけに、私は何も言えなかった。彼女もそれ以上何も聞かなかった。ただ、「私は看護師だけれど助産師でもあります。お産に立ち会うのが好きです。」というと、「私もよ。」と彼女も笑った。いつか一緒に働けるといいですね、そう話して私たちは別れた。

その後、彼女と会うことはなかったが、今でも時々彼女のことを思いだす。シドニーで暮らして行くということは、彼女たちのような人たちと共に働き、生きていくことなのだと思うと不思議な縁を感じ、なんだか胸が熱くなるのだ。

以下は、日本国際ボランティアセンターイラク現地情報とバックナンバー
http://www.ngo-jvc.net/php/jvcphp_eplist.php?ThreadName=m01



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by gonzalesK | 2009-05-18 15:14 | Refugee- 難民

はじめての外来受診の日

2009年5月6日(水)

退院してからの初めての外来受診。血小板が順調に増えて、薬を少しずつ減量していけることになった。気分もよかったので、夕方近所でお散歩をした。

私の家は、街から車で15分、歩いて1時間のところにある。目の前が自然保護地区で海の入り江が広がっている。早朝や夕方には、 犬を連れてお散歩する人、ジョギングする人がちらほらとやってくる。

ぶらぶらと歩いていて、すれ違う人と「はあい!」と声をかけあう。これは、お互いに「私はあやしいものではありません。」と確認しあう作業のようなものらしい。

iPodで、お気に入りの曲でも聞きながらお散歩しようかと思っていたけれど、気が変わってやめた。たくさんの鳥たちの声が、素敵なのだ。耳を済ますと、いろいろな種類の鳥の声がする。そこに木々たちの葉っぱがざわざわと音を立てる。こういうのを調和というのかなと一瞬感じた。

村上春樹の『海辺のカフカ』には、猫とお話ができるタナカさんがでてくる。私ももう少し訓練すれば、タナカさんように、鳥の話がわかるようになるかもしれないなあ、いや、そのためには、もっとピュアでないと。

くだらないことを考えているうちに、大きな夕日が向こうの方に沈んで行った。


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by gonzalesK | 2009-05-15 09:48 | ITP in Sydney

シドニーの「こんなものか」文化

2009年4月27日(月)

シドニーは、多文化主義の都市だ。シドニー在住の4割の人が、英語以外の母国語を持ち、在住の1割の人が、ゲイ/レズビアンである。この多文化主義は、ある程度のところで妥協するシドニーのお気楽文化、「こんなものか」という文化を生み出しているのではないかと思っている。

病院のスタッフたちも、もちろんマルチ・カルチャル。私の主治医、G医師は白人で、いつでも自信にあふれ堂々としている。「こんぶさん、グロブリンとステロイドの反応も良く、血小板も上がって来ているよ。脾臓の超音波をして、問題なければ退院できそうだね。あとは僕の外来に来てね。でも僕は、これから4週間の休暇だから、そのときはインターンが面倒みるからね。」夫が、「ピロリ菌とITPの関係はどうなのでしょう?」と問うと、「それね、僕も読んだけど日本の論文でしょ。念のためこんぶさんのピロリ菌の有無も調べたけど、ネガティブだったよ。」

お掃除のおじさんは、インド系。無愛想だけれど、ベッド間の仕切りのカーテンをきちんと閉めていってくれるのは、この人だけだった。毎朝採血にまわって来る検査技師さんは、中国系やインド系の人が多かった。車いすをいやがる私を無理矢理座らせ、笑い合ったポーターさんは、シェオラレオネから来たアフリカの方だった。

ナースは白人、中国系、日本人、また男性も多いのが印象的だ。スキンヘッドでピアスでも、金髪長髪で白衣から入れ墨の鯉がのぞいていても、いいケアを提供してもらえれば患者さんはおかまいなしだ。 逆に、患者さんはケアを提供してもらうと、「あなた、本当に素晴らしいわ!」「あなた最高のナースね!」と、ナースを日常的にほめまくる。ナースも「No worry! (おやすい御用よ)」といった調子である。

ナースは、私がグロブリンの点滴を受けるとき、マニュアルにそって、30分おきに血圧などをチェックし、点滴速度をあげていった。 輸液が終わったら、ナースステーションまで出向き、ナースに「終わりましたよ。」と声をかける。ナースは、「あら、ありがとう。」と言った具合だ。私は、日本で入れ墨を自慢するナースに出会ったことはなかったが、ここでも、みんなそれなりに働いているのだなと妙に感心した。

日本の多くの病院では、質の良いサービスの提供、という名のもとにスタッフが疲弊している。病院の利用者もいろいろなものをスタッフに求めすぎるし、スタッフもそれに応えようと精一杯努力をして、がんばりすぎて消耗している。ここではいろいろな文化が融合しているから、期待通りにものが運ばなくても、「こんなものなのか」と受け入れざるを得ない雰囲気がある。良くも悪くもそれが、スタッフを働きやすくしているし、人々の生活を気楽にさせているような気がする。

退院する際に、診察券に記載してあった外来受診日と採血用紙の指定の日取りが違ったので、ナースに確認した。「どちらかでいいのだろうけど...恐らくこちらの日取りでしょう!」私は最後まで、「こんなものか」と思いながら病院を後にした。
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by gonzalesK | 2009-05-14 09:15 | ITP in Sydney

あたたかいおにぎり

2009年4月26日(日)

病気で心細いとき、それを勇気づけてくれるのは、いつでも人の存在だ。それは前回入院したときも、今回入院したときもしみじみと感じた。

シドニー在住のTちゃんは、英語学校で知り合った友人。共通の目標があることもあり、私は勝手に彼女をシドニーの同志と思っている。シドニーであげた小さな結婚式でも、初めて振り袖を着た私の面倒をいろいろとみてくれた。また、結婚生活を送る先輩として、いろいろアドバイスをもらうことも少なくない。

そんなTちゃんがお見舞いに来てくれるという。「何か持って来て欲しいものはある?何でもいいよ。」「本当に何でもいいの?」「うん、いいよ。」「じゃあ、手作りのおにぎりが食べたい!」というとTちゃんは電話の向こうで笑った。「いいよ、いいよ、じゃあ作って持って行くから。」

病院の食事は、ブリティッシュ航空の機内食のようだ。本来なら感謝して頂かなければならないと罰があたるだろう。しかし私の箸はなかなか進まず、彼が、巻き寿司などの昼食を昼休みに、仕事後に日本食レストランからのお持ち帰りを夕食としてデリバリーしてくれていた。 それはそれで大変ありがたく、彼にも感謝しおいしく頂いていたのだが、やはり手作りの味が恋しくなる。

しばらくすると、Tちゃんは、愛らしい黄色い花束を抱えて病院にやって来た。そして、おにぎりを渡してくれた。お腹をすかせて待っていた私は、Tちゃんの温かいおにぎりを一気にほおばった。おかかと梅干しがそれぞれ入っていて、海苔がくるりと巻いてあり、とてもおいしかった。この味を決して忘れることはないだろう、とその時真剣に思った。

前回入院していたときも、本当にいろいろの人のお世話になったと今、改めて思う。自宅のある足利から私の好きそうな本を抱えて、何度も足を運んでくれたKさん。私が病気を治さないと酒飲み仲間が減る、と愚痴りながら仕事帰りに来てくれたTAちゃん、びっくりして府中から飛んで来たSさん、スターバックスのコーヒーをほぼ毎日届けてくれたMさん、いろいろ相談に乗ってくれたイラク支援の同志で血液内科医のIさん、お守りを持って元旦にきてくれたEちゃん夫妻、ピンクのバラの花束を持ってきてくれたKさん、自らも難病を抱えて出産を乗り越えたNさんは、パステルのプリンを持って来てくれた。ごっつい姿のIさんやTさんの親父2人も、照れくさそうに彼らに不釣り合いな黄色い花を持ってやって来た。「着るものに困っているでしょう。」と、当時の職場の副院長がシルクのパジャマを持って来たときは、これをどうやって手入れするのだろうと思ったものだ。

そして、ヨルダンから届いたたくさんの励ましのメッセージ。前回の入院の直前、私はイラク難民の医療支援の仕事をしていたので、ヨルダンに住んでいたのだ。退院後、保健所で難病申請をする際に、「難民申請したいのですが。」と言い間違えそうになったことは、今となってはいい思い出だ。

みんな、みんな元気にしているかな。どこかできちんとお礼をしたいと思って今のいままで来てしまったような気がする。みんなそれぞれ小さなことも、大きなことも乗り越えて、日々生きているのだろう。いつかまたみんなに、笑顔で会える日がくればいいな。

Tちゃんの味わい深いおにぎりは、私の胃袋だけでなく、ハートまであたためてくれたのであった。
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by gonzalesK | 2009-05-11 15:22 | ITP in Sydney

入院生活スタート

2009 年4月25日(土)

病棟に入院して一番驚いたことは、大部屋が男女同室ということだった。男女平等が憲法で堂々と掲げられ、女性の社会進出度が高く国連が発表するジェンダー指数でいつも上位にあるオーストラリア。合理的だと言えば合理的だが、さすがの私もショックだった。元気なときにユースホステルのドミトリーで、バックパッカーのお兄ちゃんのいびきを聞きながら眠るのとは訳が違う、と声を大にして叫びたかった。しかし、そこは日本女子としてがまんした。

最初に入院した血液内科病棟の部屋は、4人部屋で2人男性で2人女性。私の隣にカーテン越しにおじいさんが、輸液を受けていて時々苦しそうに咳をする。何とも気になって仕方なかったが、一晩目は疲れもあってか意外に眠れた。しかし、二晩目は、おじいさんの咳が重積発作のように悪化し、夜中にナースがばたばたとやって来て大変そうだった。その他いろいろあって、あまり眠れなかった。

翌朝、ナースのリーダーを探し出し、「申し訳ないのだが、あの部屋では眠れなくて。何とか部屋を変えてくれませんか?」と精一杯の苦痛様表情を作り訴えてみた。リーダーは、「わかった。考えてみる。」と言ってくれた。オーストラリアで「考えてみる」の答えは、どんなに早くても8時間後位になることが普通だ。あとは神様に祈るのみ。

リーダーに訴えてから、まさしく8時間後の夕方、日本人のナースのSさんが、「昨日は眠れなくて大変でしたね。もう少ししたら部屋を移動できますからね。静かな部屋ですよ。」と言ってくれた。Sさんは、日本でナースの経験の後こちらでも免許を取った素晴らしい経験の持ち主。やさしい物腰で、患者さんからも慕われているのが一見してわかる。そのSさんが言うことは間違いないだろう!半ばあきらめかけていた私は、Sさんの言葉を聞いた途端調子よく、これなら血小板もぐんぐん増えるに違いないと思ったりした。

Sさんの言う通り、その日の夜、部屋を移動できた。今度の部屋も4人部屋の相部屋で、男性1人に女性3名。男性は、ご高齢でもの静かな方だった。あとの女性2人は気さくな方達だった。ご高齢の女性は、「はい!私の名前はAよ。あなたの名前は?どうして入院しているの?」と日本と同じような相部屋同士の自己紹介が始まる。

もう一人の40代くらいのアジア系女性も笑顔で話しかけて来た。「あなたは何の病気なの?私は白血病なの。急性で数ヶ月前に完治したのだけれど、また再発して。あなたの病気は白血病じゃないだけラッキーよ。私は、いつも自分に問うの。どうして“私”なんだろうって、どうして私が病気なのだろうって。考えても仕方ないことだけど。」

私に出来ることは、彼女の話をもらすことなく、目をそらすことなく聞くことだけだった。そのうち彼女がカンボジア出身で、こちらで結婚してお子さんが3人いることなどをお話ししてくれ、お子さん2人の写真も見せてくれた。もう一人の写真は、と問うと「なぜだか持ってくるのを忘れちゃってねえ。」とくすくすと笑ったので、私も微笑んだ。

小さな笑い声の中に、シドニーの静かな夜が暮れていった。
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by gonzalesK | 2009-05-08 15:09 | ITP in Sydney

私の頭のなかの自転車

2009年4月23日(木)

あたりをぶらぶらとしていて、病院の掲示板に目をやると、いろいろなものが目に入って来た。“家族が乳がんになったら−地域でのサポートを考える”など。また“前立腺がんサポートグループ”というのもあった。これらは、日本と同様オーストラリアで主要ながんなのだろう。また、“痴ほう老人患者家族の会”などの掲示板もあった。加えて、“病院職員労働組合、経済低迷による雇用者削減に反対!労働者と家族を守れ!”といったポスターも目につく。世界不況の風が病院まで流れているかと思うと、何とも肌寒い。

お昼になると、彼が食事を持ってやってきてくれた。あらかじめお願いしておいた、シドニーにある日本人経営のパン屋さんのパンだ。ここの卵サンドウィッチは、日本のものと同じ味がするので大好きだ。私と彼は、病院のカフェでお茶を飲みながら、ここのパンをほおばった。

病院の外に出ると、すっかり雨もやみ、秋のやわらかな日が射していた。私たちは、病院の外の空気を吸おうとゆっくりと散歩することにした。病院の前に芝生のグラウンドがあり、そこで鳥たちが遊んでいた。前回入院していた東京の大学病院は、高層ビル群の中にあり鳥たちの姿をみることはなかったなあと改めて思う。今はその東京のビル群さえも恋しいけれど、いつかここシドニーが自分の居場所だと、故郷だと思える日がくるのだろうか。

なんだかセンチになりながら、外来の私のベッドに戻った。白人のナースが、待っていましたとばかりに、「どこほっつき歩いていたの?マスクもしないで。免疫力が下がっていることが知っているでしょ?もうすぐ病棟に案内できるから待っていてね。」とぴしゃりと言った。

前回の入院時も、勝手にシャワーをあびて「頭蓋内出血でもしたらどうするの?」と医師に怒られたことを思い出した。私はベッドに横になりながらなんだかやりきれない思いになった。また元気になれるだろうか?もし寝ている間に脳の血管が切れて、びしゃびしゃ出血してしまったらどうしよう?でももう少しは切れているだろう、だから最近もの覚えも悪くて...私の頭の中の自転車がこぎだし、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。

泣いている私に彼が気がつき、「どうしたの?看護師の言うことは気にしないで少し眠ったらいいよ。」と言ってくれた。脳内出血が心配だ、と彼に打ち明けると、彼は「脳が出血する前に、歯茎が出血するでしょ。歯茎からは出血していないし、昨夜にステロイドを飲んだから大丈夫だよ。頭の中の自転車を止めな。」と笑顔で答えてくれた。彼は、私の頭の中の自転車が一度動き出すと、なかなかとまらないことを知っているのだ。

私はその言葉を聞いて安心し、少し眠ろうと思った。眠る前に、前回新宿の病院のベッドの中でもしたように、両手両足、指がきちんと動くことと、その感触を確かめた。



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by gonzalesK | 2009-05-08 14:32 | ITP in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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