続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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移民の揺らぎ コアラ編

2009年10月30日(金)


コアラは「生きたぬいぐるみ」と言われている。そのとおり木の上にいるコアラたちはほとんど動かない。シドニーに来て1年、私は先日ようやくコアラを拝見する機会を得た。コアラは1日18時間ユーカリの木の上で寝て、残りはほとんどユーカリの葉を食べることに費やしているらしい。恐らくよっぽどのことがない限り動じないのだろう。「コアラのマーチみたい!!」とわいわい騒がれながら、観光客に写真を撮られることを物ともせず寝入る姿は、どこか達観している。

動じないコアラに比べて、移民の私は揺れている。特に、10月は私の親愛なるbest friendsが、それぞれ別口でオーストラリアを旅行して、シドニーにも滞在した。彼/彼女たちを見送った後も、それぞれの面影がどことなくシドニーに残っていて、何だか虚しい。

最初に到着したI下さんは、パレスチナ難民、イラク難民支援を共にした同志だ。パレスチナの医療支援で、I下さんは医師、私は看護師として現地に向かった。そこで、子どもたちのためのコンサートを企画したリーダーのもと、大舞台で、私は前座で歌を歌わされ、I下さんは得意な尺八を披露した。肝心の子どもたちは、地元の有名なゲストの登場に興奮して、誰も聞いていなかったのだけれど。I下さんは、20数年ぶりの親父の自分探しの旅がテーマだったようで、ウルルに向かい、そして無事に帰還した。

その後にシドニーに到着したKっちは、大学院で苦楽を共にした同志だ。骨盤の3Dのイメージがつかず、胎児が産道から出て来る過程をテキストで理解できない私に、一生懸命説明してくれた。温かいハートとクールな脳みそを持ち合わせるKっちに同級生のみんなが助けられていた。NICU(新生児集中治療室)のエキスパートであるKっち、数百グラムの赤ちゃんたちの命を守り、そのお母さんたちをケアしている。

シドニーでは、ハーバーブリッジの上を一緒に歩いたり、オペラハウスを巡ったりした。Kっちの、みずみずしい感性に触れて、私も新しいシドニーを再発見した。Kっちの旅の目的もウルルを旅することだった。ウルルの旅を終えてシドニーに戻って来た彼女は、ウルルで見た星空が、今まで旅をして見てきた星空のなかで、一番美しかったと話してくれた。

そのKっちを空港に送った後、帰りの車の中で私は、大学院で彼女と過ごしたこと、就職してからも築地でお寿司を食べたり、銀座でお茶をしたこと、たった今、動物園で彼女とコアラの写真を撮ったこと、さ細で、楽しい思い出が走馬灯のように蘇ってきて、恋しくて懐かしくて何とも泣けてきてしまった。

夫は車を運転しながら、いつまでもめそめそと泣く私を、「日本にかえったら、Kっちに会えるよね。」と慰めてくれた。しばらくして泣き疲れた私は、夫の話を聞きながら、車の中でうとうとと眠りに落ちてしまった。ふっと目を覚ましたら、そこはもう家の前だった。目を覚ました私に気がついた夫は、「コアラは18時間寝る、あとの時間はものを食べている、本当にこんぶみたいだねえ。」と、あきれたようにつぶやいた。


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by gonzalesK | 2009-10-30 20:55 | Life in Sydney

What's your cultural heritage? - どこから来たの?

2009年10月12日(月)

待ちに待った英語学校が、今日から始まった。

オーストラリアには、新移民が英語教育を受けられるプログラムがある。私のビザでは、510時間、フルタイムでおよそ半年間、大学附属の英語学校や専門学校の英語コースなど、自分の勉強したいコースを選び無料で受講できる。難民の人たちは、移民局が認めれば510時間以上勉強することができる。いろいろ細かいことはあっても、さすが移民大国だと思う。納税者からすれば、早く英語を習得してあなたたちも社会に貢献してね、ということなのだろう。

星の数ほど英語学校があるシドニーだが、私は、ニューサウスウェルス大学(University of New South Wales) 附属の英語学校を選んだ。大学附属ということで、アカデミックに強そうなこと、そして外国人医療従事者のための英語コースがあり、のちにそのコースで勉強をしたいと思ったからだ。

英語のクラスの生徒は、すべて移民または難民であり、留学生とは別枠になっている。同級生は、今のところ10人で、イラク、中国の出身者がそれぞれ3人、ブラジル、ビルマ、スリランカ出身の方たちである。

以前3ヶ月間通った英語学校は、日本人のワーキングホリデーの若者も多く、休み時間には日本語でわいわいという雰囲気だった。今回は、白髪の紳士も同級生に交えた、どこか大人のしっとりとしたクラスである。事前に英語のテストを受けてレベル分けもされているので、同級生同士のコミュニケーションもスムーズだ。

主に私たちを担当して下さる先生は、初めての授業で自身もイギリスからの移民であること、出産後10日目に夫が失踪してしまい、現在シングルマザーで子どもを一人で育てていることを私たちに語った。先生は、私たちの生徒の背景を聞く時も、あまり深く聞きすぎないように、しかし必要なことは聞き出すような配慮をしていた。それは、移民や難民の背景が、時に複雑であることを経験から知っているからだろう。そして、先生自身の背景を語ったのは、移民や、特に難民の苦労を知っているからこそ、先生と生徒の距離を縮めようとしたのではないかと思う。

先生は、オーストラリアの先住民に対する政策の多くは間違っているが、多文化主義の政策は成功していること、多民族、様々な宗教の人々が平和的に暮らすことができるこの国を誇りに思うと話した。オーストラリア人にとって、” Where are you from? : どちらの出身ですか?” という質問は無意味である、なぜなら私たち生徒も何年か後には、“ I am from Australia. ” と答えるようになるから、と力説した(どのような文化的背景があるのか質問したい場合には、” What’s your cultural heritage? ”を使うのが一般的なようだ)。

また、1950〜60年代には東ヨーロッパ、地中海沿岸の国々からの移民、1970年代はベトナム移民、1980〜1990年代はアジア移民、そして現在は中近東からの移民が急増していることを先生は教えてくれた。確かに、クラスメイトの3分の1がイラク出身である。オーストラリアは、ベトナム戦争に参戦したので、多くのベトナム難民を受け入れたという。イラクの場合も同様なのだろう。

同級生でイラク難民の方達と、いろいろなお話が出来るようになるだろうか。何年も前のことだけれど、ヨルダンでイラク難民の医療支援に従事した。それだけに、イラク難民の状況にリアリティがありすぎて、かえって様々な話を切り出すことができないとも感じる。今でも、国境の砂漠の鉄格子に囲まれた灼熱の難民キャンプや、首都のアンマンでひしめき合って暮らす難民の人々の姿を、鮮明に思い出す。

せめて、私は彼らにとって良き同級生になりたい。



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by gonzalesK | 2009-10-13 18:50 | Life in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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