続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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バンコクのふぞろいな林檎たち

2009年11月27日(金)

Mother earth - “母なる大地” とはよくいったものだと思う。

バンコクに来る前々日に受けた、英語のスピーキングのクラスのテーマは、art - 芸術。芸術は理解するものか、感じるものかなど、先生がみんなのを意見を引き出していった。さすが、ヨーロッパ出身の同級生たちは、芸術を頭で理解しようとしているのがわかった。もともと、現象を分類することを好む文化的背景があるのかもしれない。

クラスで日本人は私一人。先生はいつものように、「こんぶさん、芸術について思うことはない?何でもいいよ。」と私に尋ねた。私は、「少し奇妙かもしれないけれど、私は日本で助産師になってから、すべての芸術は胎盤に通じると感じるようになりました。胎盤がすべての原点というか。」と日本を代表して話した。

太古の芸術にも、お産をモチーフにしたものは多い。ヨルダンの南部、ワディラムに存在する2000年前の壁画も、アボリジニの絵画やボティペインティングも、何百年も前に神社に奉納された絵馬も、妊婦や授乳器官をモチーフにしたものがある。極めつけは、自然の芸術だと思う。どんな木の根を見ても、土から栄養を巧みに吸収する姿は、胎盤に似ている。さらに、木の幹はへその緒のようであり、木になる果実は赤ちゃんのようだ。時期が来て成熟したら、木から果実が落ちるように、自然に赤ちゃんは、この世にやって来る。

これは、先輩の助産婦さんに聞いた話なのか、自分で何となくそう思うようになったのか、忘れてしまった。助産師として働いていた頃、お産の後落ち着いたら、胎盤を産婦さんに見せていた。そして、「胎盤を見ると、赤ちゃんは、りんごの実のように熟して、この世にやって来たのだなと思います。」と説明していた。もっともお産が多かったときは、胎盤が3つくらい並んでしまったものだった。

クラスの中で、日本を代表する胎盤芸術論は、さらっと流されてしまった。しかし、クラスの後、ブラジル人妊婦のイザベルが、「こんぶの胎盤の話を聞いて、私も胎盤を見たくなった。シドニーの病院でも、お産の後、頼めば自分の胎盤を見せてくれるかな?」と聞いて来た。私は、もちろん、自分の胎盤なのだから見せてもらった方がいいこと、胎盤は重要な臓器であることを話した。また、日本では昔、産後の滋養強壮のために、胎盤の一部を食する文化があって、今でもそれを好む人もいることを補足して説明した。

イザベルは、大きな目をきらきらさせながら、「じゃあ、私も胎盤を見せてもらうだけじゃなくて、家に持って帰ろうかな?冷凍庫で凍らせて、“ダーリン、今日のディナーは胎盤よ!”ってしたら、おもしろいねえ!」と言い、大きなお腹を抱えながら笑った。

バンコクで闘病する夫のおかあさん - 何十年も前に、大きなりんごを4つ、この地に産み落とした。みんな、今ここに集合している。
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by gonzalesK | 2009-11-28 00:03 | Life in Bangkok

強いひとびと

2009年11月22日(日)

男性は、お産の痛みに耐えられないというのは、よく知られた話だ。女性は強い、というのは世界の共通語かもしれない。オーストラリアは、特に公職に就いている女性も多く、オーストラリアに住む女性、または女性性を併せ持つ人たちは強いなあ、と思わされる場面に出くわす。

バンコクの夫のおかあさんの具合が、いよいよ良くないということで、1週間前にバンコクに向かった夫を追いかけるように、シドニー在住の夫のおにいさんとともに、バンコクに飛んだ。

空港の出国管理では、携帯電話を使っていた女性に対して、女性警官が、「ここは携帯電話使用禁止、罰金です」と詰め寄っていた。荷物のX線検査では、列を並ばない柄の悪い白人男性に、女性係員が、「あんた、列を並ばないで、並んでいる人に失礼でしょう、あやまりなさい!」と大きな声で怒っていた。こういった女性たちは、毅然とした態度で公務を執行しており、PMSでいらいらしているといった感じでは全くない。

飛行機に搭乗し、離陸後も、前の座席に座った人が、窓を開けていた。紫外線がたっぷりの日差しが、後ろの私たちの席まで差し込んで来て、眠るに眠れない私とおにいさん。おにいさんは、毅然とした態度で、「窓を閉めてくれませんか?私たち眠りたいのだけれど。」と窓の外の風景を楽しんでいた白人女性に言い切った。

女性が、「初めての海外旅行だから、外が見たくて。」と言い返すと、おにいさんは、「初めてなら教えてあげるわ。フライト中は、窓を閉めるのが常識なの。ほら、窓を開けているのはあなただけでしょ、他の人を見てみなさい。ふんっ。」と締めくくった。女性は、おにいさんに言い返す言葉もなかったようで、音を立てて、大げさに窓を閉めた。

バンコクに着いた私たちは、早速病院のおかあさんに会いにいった。ここでも、ひとりの女性が最後の力を振り絞って、静かに病気と闘っていた。
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by gonzalesK | 2009-11-24 01:38 | Life in Bangkok

“愛”を語ろう!

2009年11月12日(木)

今日のスピーキングクラスのテーマは、“愛”--- 深く時に重いテーマだが、木曜日担当の先生、ルースの手にかかると、陽気なテーマになる。オーストラリアの日差しをいっぱい浴びて育ったという感じのルース、小さな身体に大きな声の彼女は魅力的だ。

配布された資料には 、“Love is blind; 愛は盲目”、“Love conquers all; 愛はすべてを征服する”といった言葉が並んでいる。ルースは、大きな声でそれらを読み上げた。そして、「同じような表現は、あなたたちが生まれた地域にもありますか?あるとしたら、どのような表現があるか教えて!」と好奇心いっぱいに生徒たちに問いかけた。

中国から来たファンが、「今でも、“あなたの手をとります、一緒にお墓に入りましょう”という表現は、ロマンティックなプロポーズな言葉です。」と、中国の“愛”の言葉を紹介した。西洋出身の同級生は、「お墓なんてネガティブな表現じゃないの?」と、彼女に疑問を投げかけた。私も一瞬、「結婚は墓場」という日本の古典的な表現を思い出した。しかし彼女は、「“お墓”というのは、中国ではネガティブな表現ではありません。永遠を象徴する平和的な表現ですよ。」とコメントし、同級生たちは、“なるほどぉ”と頷いた。

イタリアのミラノ近郊出身のマリアは、「私の故郷には、“村の牛が一番良い”という表現があるわ。これは、結婚は同じ町出身のもの同士でするのが一番良い、という町の教えね。まあ今では、お年寄りしかこの表現は使わないけれど。」と、ユーモアたっぷりに語った。私は、ファションの聖地、ミラノから、どんなおしゃれな愛の言葉が聞けるかとわくわくしていた。しかし、それは意外と素朴な表現で、そのギャップがおもしろいと、私は思った。

ルースが、「こんぶさん、日本はどう?」と聞いた。私は、「“愛は盲目”という言葉は、日本にもあります。あとは...“結婚前は両目をしっかり開けて相手を見定め、結婚後は片目をつぶって”という表現があります。」と日本を代表して語った。これが何故か、ルースのつぼにはまったようで、彼女は、同級生と一緒に高らかな笑い声をあげた。(夫に、日本にはこんな表現があるよと、これを紹介したとき、“僕はすでに両目をつぶっているよ”と言われたことは、ここでは言わないでおいた。)

国際結婚カップルのブラジル人のイザベルは、みんなの話を楽しそうに聞いていた。彼女は、もうすぐ妊娠後期に入る。エストロゲンが、彼女の体内でどんどん分泌されているのだろう。彼女からは、妊婦独特のオーラが出ており、週数を経ていくごとに、彼女の美しさは増しているような気がする。

同じくブラジル人のクロは、愛の表現ならまかせておけ、という感じだ。オーストラリアに来てから6年間、一度も故郷に帰っていない彼は、すっかり“オージー”である。彼は、オーストラリア人の彼女との間に2歳の娘がいて、年明けには2人目を授かる予定だ。

オーストラリアでは、事実婚は、異性間の法的婚姻と、同様の権利と社会保障を受けることができる。政権が変わったので、数年以内には、同性婚も異性間と同じような法的権利と保障を受けられるようになるということだ。もちろんここには、“私生児”や“非嫡出児”という差別的な表現はない(日本の出生届には、未だに嫡出児か非嫡出児かを問う項目がある)。

愛の形も、その表現と同じように様々だ。その多様性を、すんなりと受け入れてくれるオーストラリアは大きいなと思っている。


(同級生の名前は仮名です)


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by gonzalesK | 2009-11-14 17:35 | Life in Sydney

移民の揺らぎ 隣の庭の芝生編

2009年11月5日(木)

春のシドニーの天気は変わりやすい。もう初夏だと思っていたら、突然南風がふいて肌寒かったりする(ここでの南風は日本で北風)。

移民の心もシドニーの天気のように移ろいやすい。長年移民のための英語コースで教鞭をとるマークは、「ヘイ、最近どう?」とクラスの皆に、よく声をかけてくれる。私たちのクラスは、徐々にクラスメイトが増えて、今では15人くらいになった。チリ、ハンガリー、サウジアラビア、フランス、イタリア、タイからの移民たちが私たちのクラスに加わった。

フランスからの移民のアグネスは、フランス系オーストラリア人のパートナーとフランスで出会い、事実婚のまま2児を授かった。彼女は、社会学の博士号を修得し、パリ近郊の大学で教鞭をとっていた。パートナーの長年の希望もあって、今回一大決心し、家族でパートナーの故郷であるシドニーに移住して来た。当初18歳の娘は、パリに恋人がいるので、パリに残るということだったが、引っ越しの直前に両親と移住することを決意したという。

アグネスは、「毎日毎日気持ちが変わる。昨日は、ここに来て本当に良かったと思い、今日は、私たちの決断は間違っていたのじゃないかと思ったり。フランスでは、プロフェッショナルとしての仕事もあった、家族も友人もいたのにと思ってしまう。」とクラスの中で話した。私はアグネスの話に強く共感した。他の同級生たちも、真剣な眼差しで彼女の話を聞いていた。

授業を担当していたマークは、「みんな移民はそうやって思うのだよ。僕の祖母は、イギリスからの移民で、移住した時は、よくそのような話をしていたと言っていた。1950年代、イギリスからオーストラリアにたくさんの移民がやって来たけれども、みんな“やっぱりイギリスの方がいい”と言って、多くの人がイギリスに帰国した。そしてしばらくたってから、“やっぱりオーストラリアの方がいい”と言って、また多くの人がオーストラリアに戻ってきた。その時代は、イギリスからオーストラリアまで6週間船で旅をしたというから、今は世界が小さくなっていると思うけどね。」と話してくれた。

マークは、“移民の揺らぎの図”を縦軸(excitement;興奮状態からdepression;うつ状態)、横軸(移住期間)にして示した。移住した当初は、すべてが新鮮で高い興奮状態にあり、しばらくすると「どうして私はここにいるの?」と気がつき、興奮状態は一気にうつ状態へ下降する。しばらくは、これを繰り返し、5年くらいしたら「英語で話せることを話すのではなく、話したいことが話せるようになり」、オーストラリアも悪くないのではないかと思える日がきっと来る、と私たちを励ました。

そして授業の締めくくり、マークはホワイトボートに大きく、「The grass is always greener on the other hand ! ; 隣の芝生は青く見えるのさ!」と書いた。私は、日本にも同じような諺があるなと深く頷いた。

イタリアからの移民のマリアは、さすがラテン系の前向きで、「毎日を楽しまなきゃ、本当にここがいやだったら、私たちは故郷に帰ればいいのだから。」とクラスの後、ランチをしていたときに話した。また彼女は、「ただ、難民の人たちは今のところ帰るところがない、選択肢が無いってことを忘れちゃいけないよね。」とさりげなく付け足した。

不安定な天気が続くシドニーの街にも、ジャスミンの花は白い花びらをしっかりと開花して、やわらかく、やさしいにおいを醸し出してくれている。


(同級生の名前は仮名です)
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by gonzalesK | 2009-11-05 16:52 | Life in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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