続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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ごはんですよ

2009年12月18日(金)

お葬式の最初の3日間、嫁に課せられた仕事があった。必然的に、唯一の嫁である私に白羽の矢があたった。早朝に、おかあさんが使えるようにと、洗面器に水を入れタオルをしぼり、歯ブラシに歯磨き粉をつけ、棺桶の脇に準備する。また、お寺が用意してくれた朝食をお祈りを捧げてから、テーブルの上に置く。そして、棺桶を3回ノックし「ごはんですよ、おかあさん」と言う。

私は、お寺の小僧さんが、オリエンテーションをしてくれた通りに、仕事をこなしていった。しかし、私はタイの夫の実家で家事をしたことがなく、ごはんの準備もしたことがない嫁である。おかあさんへの最初で最後のごはんの準備が、おかあさんが棺桶に入ってから、というのは何とも皮肉な話である。

数十年も前、タイの華僑の家に嫁いだ日本人のお嫁さんは、家族と食事をさせてもらえなかったという話を聞いたことがある。世界中で多くのお嫁さんは、苦労をしているのに違いないと改めて思った。もっとも夫は、私だけに仕事を課すのは心配だから、と3日間つきあってくれたのだけれども。

さらに、お葬式の後半は思ったよりも過酷だった。ある日の午後には、仏教版ゴスペル合唱団の人たちが来てくれた。この人たちが、歌と共にお祈りしてくれたのはいいが、おかあさんの子どもたちや孫、嫁たちは、歌と共にチベットのスクワットのようなお祈りをしなくてはならなくて、これには汗だくになった。

ある夜は、大量の金を模した折り紙と、模型の家を燃やした。これは、おかあさんが天国でお家に困らないように、と行われる儀式らしい。めらめらと燃える火の粉を見て、中学生の甥っ子は、「紙は森林から作られる訳だし、これ、地球温暖化に関係しそうだね。」と言っていた。確かに、中国の人口と昨今の気候変動を考えると、簡素化したお葬式のあり方も再考する時期なのかもしれないと思った。

ある日の夜は、橋の模型の上をお坊さんの後について、ぐるぐると歩き続けた。橋の前と後ろに、容器があって橋を歩くたびに、硬貨を入れていく。橋は、天国への架け橋を模型した物で、おかあさんが迷わないように、お坊さんとその子孫たちが導いていくものらしい。

お坊さんは、硬貨を入れていくことの意味を、「産まれてくる時も、逝く時も、私たちは何も持っていないし、持っていけない。残されるのは、残された人々の中の、あなた方がした良い行いの記憶だけです(だから、お寺に寄付してね)。」と話してくれた。

そして、7日間続いた夫のおかあさんのお葬式は、火葬で終わる。私は、おかあさんが煙になったのを見て、初めて涙が出た。みんな泣いていた。泣いている私たちに、弔問客の一人が、「煙がほとんど出ていなくて、澄んでいる。これは、おかあさんは心配事が少なく逝ったということですよ。心配事が多いと、煙は黒くなるのよ。」と教えてくれた。

お葬式を終えた後、私は、何かの強化合宿を終えたような一種の達成感を覚えていた。 私たちは、バンコクの空にひろがる煙突の上の煙を、いつまでも眺めていた。
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by gonzalesK | 2009-12-29 08:16 | Life in Bangkok

purelude - 序曲

2009年12月18日(金)

タイのお葬式は、7日間続く。

最初の3日間は、夕方にお寺で弔問客を迎え入れ、挨拶をしたり、お坊さんのお経を聞きながらお祈りする。それが延々と3時間位続く。お坊さんの前で、床の上に直接座りお祈りをするのは、白装束のような格好をした夫のおかあさんの息子、娘、孫、その嫁や婿だ。座る順番は、もちろん長男を筆頭に、そこから孫まで、娘や嫁は一番後ろ。

初日は、お坊さんのお経を聞きながら、夫のおにいさんはぽろぽろと泣いていたが、3日目にもなると、「こんぶ、この伝統は too much だよね。僕はもう膝が痛くて。」と早速愚痴っていた。

まったく日本とは違うタイのお葬式。私は、ある程度の収益を必要とするタイの寺院と、中国仏教が結びついて、一大ビジネスになったのに違いないと勝手に思っていた。夫のおねえさんも、2日間で終わる香港のお葬式とは訳が違う、私もまったくわからないけど、私のしているようにすればいいから、中国の文化では女性は“nothing” なので、列の後ろで同じようにしていれば良い、と言ってくれた。

夫のおねえさんは、札束をそのままポケットに入れて歩くような人で、声が大きく一見威圧的だが、竹を割ったような性格なので親しみやすい。そのお姉さんが、ひとつだけ教えてあげる、と教えてくれたことがあった。「お祈りをしているときに、蛾(ガ)が来ても、それを叩いたり、殺さないようにね。おかあさんが、蛾になって様子を見に来ているのかもしれないから。」

お葬式の3日目、夫のおねえさんの息子さんと娘さんがロンドンから到着した日、その日もいつものように、お経を聞きながらお祈りをしていた。そうしたら、大きな蛾が、私たちの頭上をくるくるとまわって、また窓の外に飛び立って行った。

式が終わった後、おねえさんは、「蛾が来たのを見た?今日は、子どもたちが到着したから、おかあさんが孫の様子を見に来たのかもしれないね。」と、嬉しそうに話した。私は、おねえさんの話を聞きながら、そうだねえと頷いた。

バンコクの夜は涼しいし、この程度だったらがんばれるかもしれないと思っている内に、お葬式も折り返し地点になった。しかし、これは序曲に過ぎなかった。つづく。
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by gonzalesK | 2009-12-29 07:23 | Life in Bangkok

家に帰りたい

2009年12月13日(日)

12月11日の夕方、 夫のおかあさんが、 夫のおとうさんや実兄、夫やその兄姉などに囲まれながら、静かに息を引き取った。享年80歳だった。

おかあさんは、中国の広東省に生まれ、中国の共産党に家族の全財産を奪われたのをきっかけに、夫のおとうさんとともに、ビジネスチャンスを求めてバンコクにやって来た。当初は、同胞の華僑とともに、チャオプラヤー川沿いの長屋暮らしをしていたという。波瀾万丈の人生だったと思う。

おかあさんは、ずっと「家に帰りたい、家に帰りたい」と言っていたのだが、それはかなわずに最期を病院で迎えた。

死が、生活の延長にあるものだとすれば、最期を家で過ごしたいと思うのは、ごく自然なことだと思う。しかしバンコクには、palliative care (終末期の苦痛緩和医療)の概念も、ほぼ無いに等しい。家族の皆が、何とかおかあさんが家に帰れる方法はないかと、色々と準備を始めていた。しかし、医師の一言一言に翻弄され、結局あきらめざるを得なかった。バンコクでは、患者が家で最期を迎えるのは、一旦病院に入院してしまうと難しいようだった。

バンコクは、貧富の格差が激しく、恐らく病院に入院し、治療を受けるお金が無い人々は、自然に家で家族に看取られながら亡くなっているのかもしれない。しかし、中途半端にお金があると、より良いケアを求めて私立病院に入院し、時に過剰な“治療”を受けて、そのまま帰れなくなってしまうのだろう。

大学院のときに、病理学の先生が、「病院に入院したら、なかなか死ねませんよ。すっきり死ねるのは、今では自殺、交通事故、血管障害(脳卒中や心臓発作)くらいですよ。」とはっきりと言っていたのを思い出す。

タイ、特にバンコクでは、これから日本と同じように高齢者の医療問題、介護問題が顕在化するだろう。いつでもどこでも、現象が政治化する前に、人々は大きな問題を認識している。

日本のお坊ちゃん政治家が、おかあさんから資金提供を受けた事件に対するコメントを、英語ニュースは、“I had no idea what was going on” と翻訳していた。幼稚すぎて、聞いている方が恥ずかしくなったが、きっとこういう人たちには、庶民が抱えている生活の問題がわからないのだろうなと思う。

そんなこんなで、いろいろな思いが駆け巡った日々だった。

夫という人を、この世に産み落としてくれたことに感謝しつつ、おかあさんの冥福を心から祈りたい。
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by gonzalesK | 2009-12-13 17:07 | Life in Bangkok

プミポン国王の誕生日

2009年12月5日(土)

タイの王様、プミポン国王の82歳の誕生日。町は、王様への敬愛を表すピンク色のシャツを着る人で賑わう。

もともとは、王様への敬意を表する色は黄色だった。しかし、タイの現政権を支持する黄色派と、それに対抗するタクシン派の赤色は、昨今の情勢で、政治的な“色”になってしまった。それに代って、ピンクが王様の色として使われるようになったらしい。

タイの王様の誕生日は、私の誕生日でもある。夫の姉が大きなケーキを買ってくれて、ろうそくを6本ともし(年齢から30を引いてくれた)、みんなでHappy birthday を歌ってくれた。その日の夜、夫は、私のリクエストであるバンコクのおいしいお寿司屋さんに連れて行ってくれた。私たちも、ピンク色のシャツをそれぞれまとい、魚だったら白ワインだね、とわくわくしながら目当てのレストランに向かった。バンコクに来て早2週間、私たちは、全くお酒を口にしてなかったからだ。

レストランでは、枝豆と新鮮なホタテ、そしてドリンクメニューのリストから、適当な白ワインを夫が選んだ。しかし、店員さんが、「今日は王様の誕生日なので、どんなお酒もお出しすることができません。」と当たり前のように言った。周囲を見渡すと、確かに、ピンク色にドレスアップしたカップルたちも、アイスティーなどを口にしている。

私は、お祝い事である王様の誕生日に、町でお酒が飲めないことに驚いた。加えて、シドニーでの生活が長い夫も、これを知らなかったようだ。郷に入れば郷に従え、私たちはしぶしぶと緑茶を頼んだ。緑茶とメインコースのお寿司、楽しみにしていたバンコクでの誕生日ディナーは、御徒町の寿司屋で食べるランチのような雰囲気になってしまった。

病院では、夫のおかあさんが静かに、時に苦しそうに眠っている。タイは、まだまだターミナルケアが普及していない第3世界だ。一昔前に日本の病院でおこっていたような、「これ以上どこに向かうのだろう」と疑問に思う検査や治療が、毎日、夫のおかあさんに施されていく。夫を含め、家族の誰もが疑問を持ちながらも、その決定権は“家父長”にある。

しかし、本日をもって、これ以上積極的な治療をやめよう、おかあさんをもっと苦しめることになる、と決断をしたのは、夫のお姉さんだった。私は、夫のお姉さんの勇気のある意見に賛成しながらも、自分の誕生日と夫のおかあさんの命日が重なったら、どうしようと一瞬思った。しかし、神様はそこまで意地悪ではなかったようだ。私の心配事は、現実にはならなかった。私は、日付が変わったのを確認して、2009年の誕生日を終えた。
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by gonzalesK | 2009-12-08 00:13 | Life in Bangkok

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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