続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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ユートピア

2010年4月16日(金)


英語学校では、前述したような同級生たちの出会いに恵まれ、たくさんの刺激を受けた。またこの学校で学べて良かったなと思った大きな要素に、先生たちの存在がある。

医療英語コースは、5週目と最後の週に先生たちお手製のOETの模擬テストがある。それはOETよりも難しいと評判で、先生たちいわく「本番のOETでショックを受けるよりはいいでしょ」。そんなテストを、medical journals から文献を引っ張ってきて作ってしまう先生には脱帽する。

先生たちの背景は、英語教授法の博士号を持っていたり、もともと大学でmedical science を勉強していたなどという、よりすぐりの先生たちだ。生徒の大半が、第3世界から来たプライドの高い医師たちなので、その生徒たちと同等に話ができる先生たちが選ばれた、という感じで一般英語の先生たちとはまた違った雰囲気を醸し出していた。

それでも先生たちは気さくで、何よりも英語を教えるのが好き、というオーラに満ちあふれているところが、とても素敵だった。"I suggested that she give up smoking " は、should が隠れているので、動詞がgive の原型になるとか、"It's interesting, isn't it?!;おもしろいよね" と微笑みながら教えてくれてる。授業中に、何度この "It's interesting, isn't it?!" を聞いたかわからない。先生におもしろいよね、と言われると、つまらない英文法も、おもしろいなあと思うので不思議だ。

また先生たちは、これはどうしてこうなるのか、という生徒たちの質問に対して、「理由をつべこべ考えずに、これは深呼吸して覚えるしかない」とはっきりと言っていた。私たちが日本語をひたすら覚えたように、英語でも覚えるしかないものがたくさんある。"a cold" や"a stool" は可算名詞だけど、"influenza"や "diarrhoea" は不可算名詞など、理由を考えていても仕方がないのだ。先生いわく、「覚えればパターンは後からついてくる。」。

加えて、先生たちの口からは、時々「こういう学習法は、research evidence でも効果があるとされているからね。」などという言葉が出て来ていた。例えば、「英語のspeaking を向上させるために、相手がネイティブスピーカーでなくても、どんどん英語を話しなさい。」など。つまり、英語がへたくそなもの同士でも、ひたすら話していれば、英語上達の効果があるという研究報告であるらしい。もはや、日本で白人のネイティブと話すために、高いお金を払い、駅前の英会話学校に通う必要はないのだろう。

あとは、、、先生たちは私たちに、「いつもどうどうとしていなさい、貴方たちは母国ではプロフェッショナルな人たちなのだから。ただ言葉ができないだけ。それでも、いつか必ず道は開ける。できることから始めなさい。ある中国から来た医師は、シドニーで何年もタクシードライバーをして、ラジオを聞いてお客さんとおしゃべりをしていた。それから、一発でOETに合格した。」と言っていた。

頼もしい先生に、個性あふれる同級生。窓の外の大きなユーカリの木にとまる鳥たちとその鳴き声。本当に平和な時間が流れ、ユートピアのようだと思った。一歩学外に出れば、バス運転手に無視されたり、雄叫びをあげる薬物中毒者に、お金をせがまれたりする。それでも、先生たちのような応援してくれている人たちがいるので、学外に出てしっかりと冒険しようと思っている。


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by gonzalesK | 2010-04-30 15:39 | Life in Sydney

医療英語コース修了!

2010年4月16日(金)


今日で、10週間の医療英語コースが終了し、心にぽっかりと穴があいたような気分だ。

海外の医療従事者がオーストラリアで働く場合、一定の条件を満たせば、医療免許の書き換えができる。しかし、何はともあれ英語ができなければ、免許証はただの紙切れにすぎない。英語の試験は、Occupational English Test for Overseas health professionals (OET;海外医療従事者のための英語試験)をパスするか、IELTSで7.0以上のスコアを取らなければならない(医師と薬剤師は7.5)。今回のコースは、OET受験のためのコースだった。

同級生には、イラクから来て妻も両親もいて、子どもも最近産まれたという医師もいて、みんな必死で勉強していた。恐らく彼は難民としてやってきたのだと思うが、「僕は、ここで外科の専門医になるために来た!それが僕の目的だ。」ときっぱりと言い切っていた。渡豪した理由は何であれ、それをどう生かすか、だ。休み時間には、「日本語で僕の名前をどうやって書くの?」と聞いて来て、「 阿羽間怒;アハマド」などと書いて笑い合っていたが、私は彼を心から尊敬している。

バングラディシュでは、お見合い結婚が主流なようで、結婚のためにシドニーにやって来た、という医師も2人いた。夫や妻がこちらで働いていて、祖国で一回デートして結婚、そして渡豪というパターンである。親のいうことは絶対なので、結婚を断り、母国でキャリアを積むという選択肢はなかったようである。

それでも、バングラディシュやスリランカの医師は、大英帝国の名残で、医学を英語で勉強しているので、医療英語には全くといって良いほど問題ない。内科学はハリソンで、小児科学はネルソンで、産婦人科学は、ウィリアムで学んでいるのである。私は、よく彼らの隣に座って、医療英語を教えてもらった。

しかし、英語に流暢な彼らが 、"Take a cup of tea" などと言うと、先生に" tea やfood にtake は今はもう使わない! それは100年前の英語!”とぴしゃりと言われ、植民地占領の影を見たような気がした。21世紀は、have a cup of tea なのだ。日本語が刻々と変化していくように、英語もまた変化しているようである。

中国から来た医師と看護師は、もちろん4000年の歴史を持つ中国語で、医学や看護学を習って来たという。なので、私と同様、医療英語には文字通り四苦八苦していた。私たちは、“扁桃腺摘出術”や“透析”など、時に漢字で筆談し助け合っていた。彼女たちは、「がんばりましょう!」「いただきます!」となどという日本語を知っていて、それは漫画を見て覚えたという。

アフガニスタン出身の医師は、早朝カフェで働いてから、クラスに来ていた。8歳から、家族でイランに移住したので、イランの医師免許を持っている。しかし、彼にとっての母国はアフガニスタンであり、彼のアイデンティティは、いままでもこれからも“アフガニスタン”だと言う。

休み時間には、自分のアイデンティティがどこに帰属するか、子どもたちに自分たちの宗教観やアイデンティティをどう伝えていくか、とみんな真剣に話していた。

そんなこんなであっという間に10週間が過ぎた。気がついたら、シドニーはすっかり秋をむかえていた。



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by gonzalesK | 2010-04-27 16:57 | Life in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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