続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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ムーンフェイス

2009 年 6月3日(水)

1969年にアポロが世界で初めて月面着陸したときには、イスラム教徒が激怒したという話をヨルダンで聞いたことがある。月はイスラム世界の象徴のひとつで神聖なものだからだ。赤十字のイスラム版は、“赤新月”だし、神聖な月に土足で踏み入るとは何事か、と人々が怒る様子が目に浮かぶ。

ITPの治療薬であるステロイドの副作用に、満月用顔貌-ムーンフェイスというものがある。私の顔も月が満ちるようにぱんぱんになってきた。あごは2重あごになり、夫からは『くまのようなあごだね』と言われる始末。二の腕も女子プロレス選手の一歩手前といったところだ。ステロイドが筋肉増強剤などに使用されていることを考えれば当然なのだが、久々に会う人に『何だか太ったね。』と言われると切なくなる。どこか、病気なのに太ったね、というニュアンスを感じてしまうからだ。

私はイスラム教徒ではないけれど、月自体は好きなのでムーンフェイスはがまんしよう。月の暦をみながら、『満月だからお産がたくさんあるだろうねえ。』と同僚や先輩と話しながら夜勤に臨んだ日々を懐かしく思う。

月に関する歌も好きだ。
Fly me to the moon
Moon River
It’s only a paper moon
Blue Moon
Moonlight serenade

シドニーは冬の訪れを感じる長雨が続いていて、最近月も出ていない。次の満月は6月7日、晴れるといいなと思っている。


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by gonzalesK | 2009-06-03 10:04 | ITP in Sydney

はじめての外来受診の日

2009年5月6日(水)

退院してからの初めての外来受診。血小板が順調に増えて、薬を少しずつ減量していけることになった。気分もよかったので、夕方近所でお散歩をした。

私の家は、街から車で15分、歩いて1時間のところにある。目の前が自然保護地区で海の入り江が広がっている。早朝や夕方には、 犬を連れてお散歩する人、ジョギングする人がちらほらとやってくる。

ぶらぶらと歩いていて、すれ違う人と「はあい!」と声をかけあう。これは、お互いに「私はあやしいものではありません。」と確認しあう作業のようなものらしい。

iPodで、お気に入りの曲でも聞きながらお散歩しようかと思っていたけれど、気が変わってやめた。たくさんの鳥たちの声が、素敵なのだ。耳を済ますと、いろいろな種類の鳥の声がする。そこに木々たちの葉っぱがざわざわと音を立てる。こういうのを調和というのかなと一瞬感じた。

村上春樹の『海辺のカフカ』には、猫とお話ができるタナカさんがでてくる。私ももう少し訓練すれば、タナカさんように、鳥の話がわかるようになるかもしれないなあ、いや、そのためには、もっとピュアでないと。

くだらないことを考えているうちに、大きな夕日が向こうの方に沈んで行った。


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by gonzalesK | 2009-05-15 09:48 | ITP in Sydney

シドニーの「こんなものか」文化

2009年4月27日(月)

シドニーは、多文化主義の都市だ。シドニー在住の4割の人が、英語以外の母国語を持ち、在住の1割の人が、ゲイ/レズビアンである。この多文化主義は、ある程度のところで妥協するシドニーのお気楽文化、「こんなものか」という文化を生み出しているのではないかと思っている。

病院のスタッフたちも、もちろんマルチ・カルチャル。私の主治医、G医師は白人で、いつでも自信にあふれ堂々としている。「こんぶさん、グロブリンとステロイドの反応も良く、血小板も上がって来ているよ。脾臓の超音波をして、問題なければ退院できそうだね。あとは僕の外来に来てね。でも僕は、これから4週間の休暇だから、そのときはインターンが面倒みるからね。」夫が、「ピロリ菌とITPの関係はどうなのでしょう?」と問うと、「それね、僕も読んだけど日本の論文でしょ。念のためこんぶさんのピロリ菌の有無も調べたけど、ネガティブだったよ。」

お掃除のおじさんは、インド系。無愛想だけれど、ベッド間の仕切りのカーテンをきちんと閉めていってくれるのは、この人だけだった。毎朝採血にまわって来る検査技師さんは、中国系やインド系の人が多かった。車いすをいやがる私を無理矢理座らせ、笑い合ったポーターさんは、シェオラレオネから来たアフリカの方だった。

ナースは白人、中国系、日本人、また男性も多いのが印象的だ。スキンヘッドでピアスでも、金髪長髪で白衣から入れ墨の鯉がのぞいていても、いいケアを提供してもらえれば患者さんはおかまいなしだ。 逆に、患者さんはケアを提供してもらうと、「あなた、本当に素晴らしいわ!」「あなた最高のナースね!」と、ナースを日常的にほめまくる。ナースも「No worry! (おやすい御用よ)」といった調子である。

ナースは、私がグロブリンの点滴を受けるとき、マニュアルにそって、30分おきに血圧などをチェックし、点滴速度をあげていった。 輸液が終わったら、ナースステーションまで出向き、ナースに「終わりましたよ。」と声をかける。ナースは、「あら、ありがとう。」と言った具合だ。私は、日本で入れ墨を自慢するナースに出会ったことはなかったが、ここでも、みんなそれなりに働いているのだなと妙に感心した。

日本の多くの病院では、質の良いサービスの提供、という名のもとにスタッフが疲弊している。病院の利用者もいろいろなものをスタッフに求めすぎるし、スタッフもそれに応えようと精一杯努力をして、がんばりすぎて消耗している。ここではいろいろな文化が融合しているから、期待通りにものが運ばなくても、「こんなものなのか」と受け入れざるを得ない雰囲気がある。良くも悪くもそれが、スタッフを働きやすくしているし、人々の生活を気楽にさせているような気がする。

退院する際に、診察券に記載してあった外来受診日と採血用紙の指定の日取りが違ったので、ナースに確認した。「どちらかでいいのだろうけど...恐らくこちらの日取りでしょう!」私は最後まで、「こんなものか」と思いながら病院を後にした。
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by gonzalesK | 2009-05-14 09:15 | ITP in Sydney

あたたかいおにぎり

2009年4月26日(日)

病気で心細いとき、それを勇気づけてくれるのは、いつでも人の存在だ。それは前回入院したときも、今回入院したときもしみじみと感じた。

シドニー在住のTちゃんは、英語学校で知り合った友人。共通の目標があることもあり、私は勝手に彼女をシドニーの同志と思っている。シドニーであげた小さな結婚式でも、初めて振り袖を着た私の面倒をいろいろとみてくれた。また、結婚生活を送る先輩として、いろいろアドバイスをもらうことも少なくない。

そんなTちゃんがお見舞いに来てくれるという。「何か持って来て欲しいものはある?何でもいいよ。」「本当に何でもいいの?」「うん、いいよ。」「じゃあ、手作りのおにぎりが食べたい!」というとTちゃんは電話の向こうで笑った。「いいよ、いいよ、じゃあ作って持って行くから。」

病院の食事は、ブリティッシュ航空の機内食のようだ。本来なら感謝して頂かなければならないと罰があたるだろう。しかし私の箸はなかなか進まず、彼が、巻き寿司などの昼食を昼休みに、仕事後に日本食レストランからのお持ち帰りを夕食としてデリバリーしてくれていた。 それはそれで大変ありがたく、彼にも感謝しおいしく頂いていたのだが、やはり手作りの味が恋しくなる。

しばらくすると、Tちゃんは、愛らしい黄色い花束を抱えて病院にやって来た。そして、おにぎりを渡してくれた。お腹をすかせて待っていた私は、Tちゃんの温かいおにぎりを一気にほおばった。おかかと梅干しがそれぞれ入っていて、海苔がくるりと巻いてあり、とてもおいしかった。この味を決して忘れることはないだろう、とその時真剣に思った。

前回入院していたときも、本当にいろいろの人のお世話になったと今、改めて思う。自宅のある足利から私の好きそうな本を抱えて、何度も足を運んでくれたKさん。私が病気を治さないと酒飲み仲間が減る、と愚痴りながら仕事帰りに来てくれたTAちゃん、びっくりして府中から飛んで来たSさん、スターバックスのコーヒーをほぼ毎日届けてくれたMさん、いろいろ相談に乗ってくれたイラク支援の同志で血液内科医のIさん、お守りを持って元旦にきてくれたEちゃん夫妻、ピンクのバラの花束を持ってきてくれたKさん、自らも難病を抱えて出産を乗り越えたNさんは、パステルのプリンを持って来てくれた。ごっつい姿のIさんやTさんの親父2人も、照れくさそうに彼らに不釣り合いな黄色い花を持ってやって来た。「着るものに困っているでしょう。」と、当時の職場の副院長がシルクのパジャマを持って来たときは、これをどうやって手入れするのだろうと思ったものだ。

そして、ヨルダンから届いたたくさんの励ましのメッセージ。前回の入院の直前、私はイラク難民の医療支援の仕事をしていたので、ヨルダンに住んでいたのだ。退院後、保健所で難病申請をする際に、「難民申請したいのですが。」と言い間違えそうになったことは、今となってはいい思い出だ。

みんな、みんな元気にしているかな。どこかできちんとお礼をしたいと思って今のいままで来てしまったような気がする。みんなそれぞれ小さなことも、大きなことも乗り越えて、日々生きているのだろう。いつかまたみんなに、笑顔で会える日がくればいいな。

Tちゃんの味わい深いおにぎりは、私の胃袋だけでなく、ハートまであたためてくれたのであった。
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by gonzalesK | 2009-05-11 15:22 | ITP in Sydney

入院生活スタート

2009 年4月25日(土)

病棟に入院して一番驚いたことは、大部屋が男女同室ということだった。男女平等が憲法で堂々と掲げられ、女性の社会進出度が高く国連が発表するジェンダー指数でいつも上位にあるオーストラリア。合理的だと言えば合理的だが、さすがの私もショックだった。元気なときにユースホステルのドミトリーで、バックパッカーのお兄ちゃんのいびきを聞きながら眠るのとは訳が違う、と声を大にして叫びたかった。しかし、そこは日本女子としてがまんした。

最初に入院した血液内科病棟の部屋は、4人部屋で2人男性で2人女性。私の隣にカーテン越しにおじいさんが、輸液を受けていて時々苦しそうに咳をする。何とも気になって仕方なかったが、一晩目は疲れもあってか意外に眠れた。しかし、二晩目は、おじいさんの咳が重積発作のように悪化し、夜中にナースがばたばたとやって来て大変そうだった。その他いろいろあって、あまり眠れなかった。

翌朝、ナースのリーダーを探し出し、「申し訳ないのだが、あの部屋では眠れなくて。何とか部屋を変えてくれませんか?」と精一杯の苦痛様表情を作り訴えてみた。リーダーは、「わかった。考えてみる。」と言ってくれた。オーストラリアで「考えてみる」の答えは、どんなに早くても8時間後位になることが普通だ。あとは神様に祈るのみ。

リーダーに訴えてから、まさしく8時間後の夕方、日本人のナースのSさんが、「昨日は眠れなくて大変でしたね。もう少ししたら部屋を移動できますからね。静かな部屋ですよ。」と言ってくれた。Sさんは、日本でナースの経験の後こちらでも免許を取った素晴らしい経験の持ち主。やさしい物腰で、患者さんからも慕われているのが一見してわかる。そのSさんが言うことは間違いないだろう!半ばあきらめかけていた私は、Sさんの言葉を聞いた途端調子よく、これなら血小板もぐんぐん増えるに違いないと思ったりした。

Sさんの言う通り、その日の夜、部屋を移動できた。今度の部屋も4人部屋の相部屋で、男性1人に女性3名。男性は、ご高齢でもの静かな方だった。あとの女性2人は気さくな方達だった。ご高齢の女性は、「はい!私の名前はAよ。あなたの名前は?どうして入院しているの?」と日本と同じような相部屋同士の自己紹介が始まる。

もう一人の40代くらいのアジア系女性も笑顔で話しかけて来た。「あなたは何の病気なの?私は白血病なの。急性で数ヶ月前に完治したのだけれど、また再発して。あなたの病気は白血病じゃないだけラッキーよ。私は、いつも自分に問うの。どうして“私”なんだろうって、どうして私が病気なのだろうって。考えても仕方ないことだけど。」

私に出来ることは、彼女の話をもらすことなく、目をそらすことなく聞くことだけだった。そのうち彼女がカンボジア出身で、こちらで結婚してお子さんが3人いることなどをお話ししてくれ、お子さん2人の写真も見せてくれた。もう一人の写真は、と問うと「なぜだか持ってくるのを忘れちゃってねえ。」とくすくすと笑ったので、私も微笑んだ。

小さな笑い声の中に、シドニーの静かな夜が暮れていった。
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by gonzalesK | 2009-05-08 15:09 | ITP in Sydney

私の頭のなかの自転車

2009年4月23日(木)

あたりをぶらぶらとしていて、病院の掲示板に目をやると、いろいろなものが目に入って来た。“家族が乳がんになったら−地域でのサポートを考える”など。また“前立腺がんサポートグループ”というのもあった。これらは、日本と同様オーストラリアで主要ながんなのだろう。また、“痴ほう老人患者家族の会”などの掲示板もあった。加えて、“病院職員労働組合、経済低迷による雇用者削減に反対!労働者と家族を守れ!”といったポスターも目につく。世界不況の風が病院まで流れているかと思うと、何とも肌寒い。

お昼になると、彼が食事を持ってやってきてくれた。あらかじめお願いしておいた、シドニーにある日本人経営のパン屋さんのパンだ。ここの卵サンドウィッチは、日本のものと同じ味がするので大好きだ。私と彼は、病院のカフェでお茶を飲みながら、ここのパンをほおばった。

病院の外に出ると、すっかり雨もやみ、秋のやわらかな日が射していた。私たちは、病院の外の空気を吸おうとゆっくりと散歩することにした。病院の前に芝生のグラウンドがあり、そこで鳥たちが遊んでいた。前回入院していた東京の大学病院は、高層ビル群の中にあり鳥たちの姿をみることはなかったなあと改めて思う。今はその東京のビル群さえも恋しいけれど、いつかここシドニーが自分の居場所だと、故郷だと思える日がくるのだろうか。

なんだかセンチになりながら、外来の私のベッドに戻った。白人のナースが、待っていましたとばかりに、「どこほっつき歩いていたの?マスクもしないで。免疫力が下がっていることが知っているでしょ?もうすぐ病棟に案内できるから待っていてね。」とぴしゃりと言った。

前回の入院時も、勝手にシャワーをあびて「頭蓋内出血でもしたらどうするの?」と医師に怒られたことを思い出した。私はベッドに横になりながらなんだかやりきれない思いになった。また元気になれるだろうか?もし寝ている間に脳の血管が切れて、びしゃびしゃ出血してしまったらどうしよう?でももう少しは切れているだろう、だから最近もの覚えも悪くて...私の頭の中の自転車がこぎだし、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。

泣いている私に彼が気がつき、「どうしたの?看護師の言うことは気にしないで少し眠ったらいいよ。」と言ってくれた。脳内出血が心配だ、と彼に打ち明けると、彼は「脳が出血する前に、歯茎が出血するでしょ。歯茎からは出血していないし、昨夜にステロイドを飲んだから大丈夫だよ。頭の中の自転車を止めな。」と笑顔で答えてくれた。彼は、私の頭の中の自転車が一度動き出すと、なかなかとまらないことを知っているのだ。

私はその言葉を聞いて安心し、少し眠ろうと思った。眠る前に、前回新宿の病院のベッドの中でもしたように、両手両足、指がきちんと動くことと、その感触を確かめた。



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by gonzalesK | 2009-05-08 14:32 | ITP in Sydney

長い長い1日

2009年4月23日 (木)

結局一晩、救急外来病棟のベッドで過ごした。彼は、午前3時半頃に一旦自宅に帰って行った。目を覚ますと、ビルマ人ナースや入れ墨ナースの姿はもう見えなかった。きっと勤務交代したのだろう。

することもなく、ベッドでもぞもぞしていると、中堅どころといった白人のナースがやってきた。「昨日は大変だったわね。今日は病棟に移れるわよ。あなた助産師なのね?どこかで働いているの?」と私の血圧をチェックしながら話しかけてくる。「まだ働いていません。英語の試験をパスしないといけないのですよ。」と答えると、「そうねえ、それが大変よね。それからコースに行かなければならないのでしょ?実は私も助産師なのよ。」と彼女はにこっと笑った。

「助産師なのに救急外来で働いているのですか?」と聞くと、「前にね、地方で助産師をしていたのだけれど、そのときに救急や一般的な看護の知識も必要だと痛感したことがあって。それで、シドニーに戻って来て救急で働き始めたらおもしろくなってしまってね。それから離れられなくなってしまって。」と言う。「あなたは看護師としては働いていた?」と尋ねられ、「はい。何年かは。」と答えると、「それはとってもいいわ。」と彼女は返事をした。

彼女が去ったあと、歯を磨いた。歯肉出血していないことを確認する。前回発症したときは、血小板が1000まで下がり、歯茎から血が出て、それは無惨な姿だったのだ。やはり8000あれば、歯茎から出血はしないのね、と妙に安心する。 それにしても、血小板の正常値が15万から25万だから、低いことは低い。お給料が8000円だったら生活していけないのと同じだ。

色黒のぽっちゃりとした医師がやってきた。「私は今血液内科でインターンをしているの。あなた日本人ね?私、休暇で日本に滞在していて先週戻ったばかりなの。日本って本当にすばらしいところね。」と早口でしゃべる。「日本のどこに滞在したのですか?」と問うと、「トウキョウ、オオサカ、タカヤマ、ベップ、ナガサキ...」と言う。「それは忙しい旅でしたね。」と言うと、「そうね、でも日本はワンダフルよ!人も食べ物も風景も!」と興奮気味に話す。ここでもオーストラリア人の日本好きに助けられる気がする。一方、私はなんでその素晴らしいニホンをわざわざ離れ、ここにいるのだろう、という単純な疑問が頭をよぎる。

「先生はどこのご出身なのですか?」と聞いてみる。シドニーでこの質問をするのはどうなのかと常に思っていたのだが、みんな遠慮なく質問してくるので、私も遠慮なく質問することにした。「私はイギリス出身よ。両親はスリランカ出身。」「そうですか。」スリランカ..昔、多摩川の近くに住んでいたスリランカ出身の友人が作ってくれたカレーがとてもおいしかった、大学の英語の先生がスリランカ出身でやさしい先生だった、最近また民族紛争が大変そうだけどどうなのだろう、といったことが一瞬頭に浮かんだが、いずれも言うに足らないことだと思い、私はそれ以上何も言わなかった。

彼女が一通り私を診察すると、「今朝の採血では、あなたの血小板は7000。明日から3日間の予定でグロブリンの点滴をすると思う。それで血小板がうまくあがればいいね。」と言う。日本では、グロブリンの点滴は受けなかった。確か高価な薬品だし、ステロイドが効かなかったら、グロブリンを投与する、という治療計画だったと思う。私は暫定的な永住権を持っているので、こういった医療は無料で受けられる。そう考えるととてもありがたい。日本では、こんなにいろいろ検査や治療をしちゃって、いったいいくら“お買い上げ”したのだろう、と不安になることが多々あったからだ。(しかし、日本ではITPは難病の指定疾患だったので、疾患の申請をした後、ほぼ公費で医療を受けることができた。)

一通りの治療計画を聞いて安心した。することもないので、ぶらぶらと私は病院散策に出かけることにした。
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by gonzalesK | 2009-04-30 14:45 | ITP in Sydney

秋雨のふる夜に その2

2009年4月23日(木)

彼のお母さんは、数年前にN病院で大きな手術を受け長期間入院していた。N病院に近づくと、彼は「またお世話になるよ、僕の家族をまたひとり連れて来たよ!」と車の中からN病院に話しかけていた。

救急外来でトリアージ・ナース(患者の救急度を判断する訓練を受けたナース)から問診などを受け、受付で長いこと待ち、救急外来のベッドに横たわることができたときは、もう日付が変わっていた。

ベッドでうとうとしていると、ナースが一人やって来て問診し、血圧などをチェックした。気だてのよさそうなアジア系のナースだった。「どこのご出身ですか?」と伺うと「ビルマよ。」といった。私が唯一知っているビルマ語、「ミンガラーバ!(こんにちは)」というと、彼女は「グッドガール!」と笑った。彼が「僕はタイ出身だよ。お隣だね。」と言った。彼女が自身の出身を、“ミャンマー”とではなく、“ビルマ”というところに彼女の背景があるように思えた。母国の状況を考えると、彼女の人生にもきっといろいろなことがあったのだろうな、という思いがよぎる。

彼女が去り、しばらくしてから、インターンの若い医師がやってきた。ドラマのERを思い起こさせるユニフォームを着て、はつらつとしている。彼女も私にいろいろ問診し始めた。「それで、昨日の夜に足の点状出血に気がついて、クリニックに採血に行ったら血小板が低かったということね?2003年にITPを発症したときは、かぜをひいていたということだけど、今回は何か気になることはあった?」と彼女が私に聞いた。私の代わりに彼が、「彼女は、10日ほど前に親戚のバーベキューに行って、ひどい胃腸炎になったんだよ。僕もGPだし、病院には行かないで何とか治ったけど。それとITPと関係があるかどうかはわからないけど。」と答えた。彼女は、「そうですか。先ほど、血液内科の医師から、プレドニゾロン50mg内服の指示を受けています。それで様子を診ましょう。病棟のベッドは空かないと思うので、朝までここで過ごすことになるかもしれません。」ということだった。

先ほどのビルマ人ナースが私の採血をし、血管確保の留置針を入れた。一回目は失敗して、めちゃくちゃ痛かった。私が採血する側だったころのことを思い出し、今まで失敗した採血の人本当にごめんなさい、と懺悔させられるような痛さだった。それでもビルマ人ナースの面子を重んじ、私は精一杯の笑顔をつくった。

医師は、「夜中にステロイドを飲むと興奮して眠れなくなってしまうかもしれないけど、まあ飲んで!」と言っていた。ステロイドを内服し、疲れもあったのか、私はすぐにうとうとし始めた。彼はもう少し私に付き添ってくれるという。

そのうち白人の男性ナースがやって来た。スキンヘッドで半袖の白衣から、花柄の入れ墨がのぞいている。街で出会ったら、ぶつかりたくないタイプだ。彼は私の顔を覗き込み、「オゲンキデスカ?ニホンジンネ?」と日本語で言った。 元気だったらここにはいないよ、と思わずつっこみたくなるのを押さえて、私は、「日本語話すのですか?」と聞いた。入れ墨ナースは「ヘイタイデニホンニイマシタ、フジサンキレイナトコロ!」と日本語で話した。うとうとしていた彼も起きて、「へえ、オーストラリアの軍隊で日本にいたのですか?」と入れ墨ナースに問う。ナースは、「いいえ、私はアイルランド人で、アイルランドの軍隊にいました。今は普通のナースだけどね。」なぜ、アイルランド人の兵隊さんが、日本にいるのだろうか?いろいろ聞いてみたいけれど、今日のところはやめておこうと思った。

入れ墨ナースは、私の腕に巻かれている自動血圧計測定のマンシェットを見て、「ぶかぶかじゃないの!小児用の方がいいかもね。」と言いながら小児用のマンシェットに巻き変えた。血圧測定をしたナースは、「ぴったり、ぴったり」と満足そうであった。私はそのとき、「オーストラリアのナースはゲイの人が多くてね。皆やさしいし、とても良いケアを提供するのよ。」という知人から聞いた話を思い出した。入れ墨ナースの素朴な笑顔を垣間みながら、私は再び眠りに落ちていった。
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by gonzalesK | 2009-04-29 21:35 | ITP in Sydney

秋雨のふる夜に その1

2009年4月22日(水)

しとしとと秋雨が降る夜だった。彼が仕事から戻ったので、下ごしらえしていた鮭を焼き始めたところに私の携帯が鳴った。

“もしもし?”“そちらはこんぶさんですか?こちらはあなたが昼間にかかったCメディカルセンターです。あなたの採血結果のことで、医師が至急来院するようにということです。”“やっぱり血小板が低かったのでしょうか?”“それは私からは言えません。直接医師に聞いて下さい。それでは9時までには来て下さいね。”無造作に電話が切れる。

彼が何事かと階段を下りて来た。「センターの人が今すぐ来いって言っていたよ。」こんな予感がしなくもなかったけれど、やはり悲しい。涙がぽろぽろと溢れて来る。彼は、「大丈夫、僕がついているから。まだ時間はあるし、まずご飯をしっかり食べてから行こうよ。長い夜になるかもしれないからね。」と言いながら、私の肩をやさしく抱いてくれた...と思いきやご飯をよそり始めた。

私たちは、ご飯を勢いよく食べた。私は泣きながらも、しっかり完食したのでこれには彼もびっくりしていた。そして急いでメディカルセンターに向かった。彼は車を運転しながら、「怠慢なオーストラリアの医師が電話をよこすってことは、それなりに血小板が低いのだろうなあ。やっぱり2万以下だろうなあ。」とつぶやいていた。

センターでは数人の患者さんが診察待ちをしていたが、受付に訳を話すと、すぐに医師に会えると思う、と笑顔で言ってくれた。担当の医師はロシアなまりの英語で、「あなたの血小板が8000しかないと、検査室から電話がかかってきたの。それにITP(特発性血小板減少症紫斑病)の既往もあるでしょう?今紹介状を書くからすぐに専門医に診てもらって。」と言い切った。彼が、「N病院に行きますね。」と言うと、医師は「それがいいと思う。今晩中にね。」と紹介状を書きながら返答した。

私たちは入院の準備をするため一旦自宅に戻った。彼は、「8000か、もうちょっとあると思ったけど以外と低かったね。最低3泊はすると思うから、その準備をしよう。」と冷静でいてくれている。私は必要なものを、急遽決まった旅支度をするような思いでリュックにつめこんだ。
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by gonzalesK | 2009-04-28 15:11 | ITP in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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