続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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神戸のあきら君

2011年10月1日(土)


神戸にあきら君という人がいて、私がその人にあったのは、20歳のころだった。

アルバイトをして貯めたお金で格安航空券を買い、バックパックを背負い、一人インドへと向かったころだった。私は、インドのガンジス川沿いのバラナシという町にやって来て、その町のゲストハウスにたどり着いた。8月の北インドは雨期で、びしゃびしゃになってリキシャに乗りながら見たリキシャの運転手のたくましい筋肉、雨の中我が物顔に道ばたに佇む牛の姿などを、今でも鮮明に思い出すことができる。

たどり着いたゲストハウスに、あきら君はいた。そのとき、私たちは軽い挨拶を交わしたけど、あまり話をしなかったと思う。その後、インドからタイのバンコクに戻り、バンコクのカオサン通りで、彼と偶然に再会した。それからバンコクでまったりと、彼とデンマーク人の旅行者とビールを飲んだり、お寺を観光して、同じ年だということもあって、何だか打ち解けて行ったのを覚えている。

彼は、当時京都の大学で勉強していたけど、その後、休みがあれば、メキシコや中国を旅行していた。そして、旅先から私にポストカードを送ってくれたりした。私もその後、ベトナムやカンボジアを旅行して、そこから彼にポストカードを送った。当時は、インターネットもなかったから、あきら君にしっくりくるようなカードを選んだり、郵便局で切手を買うために数時間並んだり、そして現地の美しい切手を眺めたり、そんなささやかなことが楽しかった。

あきら君は読書家で、いろいろな本を私にすすめてくれた。その中で、特に覚えているのが、

小田実の「何でも見てやろう」
沢木耕太郎の「深夜特急」
植村直己の「青春を山に駆けて」
チャップリンの「チャップリン自伝」
中島らもの「今夜すべてのバーで」

改めてならべてみると、親父の本棚にならんでいそうな本ばかり。しかし、彼の勧める本は、わかりやすくて面白かったので、私はどんどん読み進めていった。その頃に読んだ本は、やはり私に何らかの影響を与えているような気がする。植村直己や沢木耕太郎のような旅は出来ないけれど、ふと沸き上がってくる旅人への哀愁に近い憧れ、異文化への好奇心の原点は、そこらへんにあるのかもしれない。






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by gonzalesK | 2011-10-01 18:02 | Life in Sydney

Never too late !

2010年6月30日(木)


2週間遅れで、送った父の日のギフト。

日本のお父さんに送るんだよ〜って店員さんとお話していたら、「へえ、ダディの誕生日なの?」と聞かれた。「いやいや、2週間前の父の日のギフトをまだ送っていなくて(反省)...」と言ったら、若いオージーの店員さんが、「OH MY GOD ! But it will never too late, your dady will be very happy ! 」とやや引きつった笑顔で言ってくれた。

QVBのkikki.K (www.kikki-k.com) で見つけたカード ↓


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by gonzalesK | 2011-07-01 14:36 | Life in Sydney

FUKUSHIMA

2011年5月21日(土)

昨年、TAFE という公立の専門学校の英語コースで、医療英語を一緒に勉強していた中国人のシャンさんが、私の大学の先輩となった。彼女とは、たびたび図書館でばったりあったりして、そのまま話し込むことも多い。

ある日、彼女が旬のみかんを食べながら、「そういえば、こんぶ。うちの両親は香港の近くの海岸沿いに住んでいるのだけど、日本からの放射能の影響はあるかな?大丈夫なのかな。」と、私に聞いてきた。一緒にいたニュージーランド人の同級生も、「僕もシドニーまで、日本の放射能汚染の影響があるのじゃないかなって心配しているよ。魚は食べないほうがいいのかなとか。」と真顔で言い出した。

私は、彼女らの言動に驚いたと同時に、引きつった笑顔で正直に「Nobody knows - それは誰にもわからない」と答えるしかなかった。無責任に「大丈夫」とも、「ただちに影響はございません」とも言えなかった。シャンさんには、あなたのところの黄砂も何とかしなよ、と言いたかったが、日中友好のためにやめておいた。

赤道をまたいで、遠く離れているFUKUSHIMAの放射能汚染の影響を人々は心配している、と私は唖然とした。彼女たちは、グリーン・ピースなどの環境保護団体とは、明らかに無縁な人たちだ。なので、これがオーストラリアの一般の人々の感覚なのかもしれないし、ちょっと神経質な人たちなのかもしれないし、それは私にはわからない。最近、テレビで日本の震災のニュースを見る機会が、めっきりと減った。しかし、原子力発電所からの放射能汚染に関するニュースは、時々見かける。

10日ほど前、ABCニュースでアデレートの大学教授が、眉間にしわを寄せながら『FUKUSHIMAの小学校の校庭の放射能汚染の許容レベルは、オーストラリアの放射線従事者の許容レベルと同じレベルだ、、、それでいいのか?』とコメントしていた。ある研究者は、FUKUSHIMAの原子力発電所から、海にたくさんの放射能が漏れていることにふれていた。彼は、日本政府は信頼性の高い情報を国際社会と共有する必要があること、ここまできたらもはや日本だけの問題ではないので、国際的に取り組めるようにしたほうがいいとコメントしていた。

日本国内でも、FUKUSHIMAの校庭に関する政府の決定に対して、抗議の声があがっていると聞いた。経済先進国で、消費税が5パーセントの国なんて、もはや日本ぐらいだろう(オーストラリアは10パーセント)。さっさと消費税を10パーセントくらいに上げて、みんなで痛みを分かち合えるような、官僚たちはケチってていないでお金をかけても、子どもたちを守るような政策を早急につくるべきではないのか。

男の子の精子は、生涯生まれ変わるが、女の子の卵子は生まれ変わらない。だから、胎児を抱える妊婦さんや女の子たちは、特に守られなければならない。政策決定者の誰が、そういう視点を持ってくれているのだろうか。日本固有の「がまんは美徳」、それを政府は、FUKUSHIMAの子どもたちに押し付けていないか?

"西洋"社会には、"自国"の人々の「安全」は守られるべきもの、という普遍的な原則がある。なので日本政府が、あっさりとFUKUSHIMAの子どもたちを犠牲にする姿勢が理解できないのだろう。放射能汚染に対する政府の対応によっては、海外の日本に対する世論は、厳しいものになっていくかもしれないという気がする。

福島も含めて日本は、私の大切な故郷だという思いに変わりはないし、もちろん今でも、世界中の人々が、日本のことを心から応援していることには、間違いないのだけれど。




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by gonzalesK | 2011-05-21 20:24 | Life in Sydney

さくら

b0175015_1252241.jpg2011年4月14日(木)

川越に住む姉から、桜が満開の写真が届いた。どんな状況のなかでも、春の訪れを知らせるようにただそこに咲き、力強さを見せる桜はすごいなあと思う。その美しさが、被災された方々や、余震が続く生活に疲れた人々を、少しでも元気づけてくれればいいなと思う。

毎年春になると(といってもシドニーでは秋の到来なのだが)、思い出したかのように聞いてしまう曲がある。森山直太朗の「さくら」。大学院の謝恩会でみんなで歌って以来、大好きな歌のひとつになった。


「僕らはきっと待っている 君といつかまた会える日々を 桜並木の道の上で手を振り叫ぶよ どんなに苦しいときも君は笑っているから くじけそうになりかけてもがんばれる気がしたよ 霞行く景色の中にあの日の唄が聞こえる さくら さくら 今咲き誇る 刹那にちりゆく運命と知って さらば友よ 旅立ちのとき 変わらない思いを いま

今なら言えるだろうか 偽りのない言葉 輝ける君の未来を願う 本当の言葉 移り行く町はまるで僕らをせかすように さくら さくら ただ舞落ちる いつか生まれ変わる瞬間を信じ 泣くな友よ いま惜別のとき 飾らないあの笑顔で さあ さくら さくら いざ舞い上がれ 永久にさんざめく光を浴びて さらば友よ この場所で会おう さくら舞い散る道の上で」

大学院の謝恩会の委員が助産の同級生の中にいたので、みんなで何を歌おうかと、がやがやと話し合った。私は、中島みゆきの「時代」を提案したのだが、それは即刻却下された。誰の提案でこの曲に決まったのかは覚えていない。けれど、素晴らしい選曲だった。私はこの歌を知らなかったので、謝恩会の当日、この歌の楽譜を渡され、初めて聞いたのだが、胸が熱くなったのを今でも覚えている。

看護研究への示唆が厳しく、日本のナイチンゲールの残像を思わせるT先生が、一生懸命に大きな口を開けて唄ってくれていたのを、今でも鮮明に思い出すことができる。私たちの教授は、スピーチの中で「あなたたちは、宝です。」と言ってくれた。人生の中で、何人の人が自分たちのことを宝と言ってくれるだろうか。私は、謝恩会などの形式ばったものが苦手なので、欠席をしようかと内心企んでいたのだが、出席して本当によかったなと思ったのだった。

新しいことを学ぶには、いつも勇気がいる。同級生たちの素晴らしいところは、ある程度の知識や経験を持ちあせて来ていても、さらに新しいことを学ぼうという力があったことだと思う。砂漠が水を吸収するように、みんなは、ぐんぐんといろいろなことを吸収した。ある程度の年齢を重ねると、それは決して容易いことではない。新しい知識がやってきても、界面活性剤のごとくはじいてしまう人もいる。互いが遠慮なく学べる学びやすい環境は、偶然の産物ではなく、あらかじめ助産の教育者である先生たちによって、用意されたものだったのだ。

大学院を修了してから何回さくらを眺めたのだろう、最近、ようやくそんなことに気がついた。
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by gonzalesK | 2011-04-15 11:58 | Life in Sydney

In touch with the people..

20111年4月4日(月)

数年前には、現場主義を掲げるNGOの職員として、中東の現場で活動していました。なので、日本で東京で福島で、「いままで生きていたなかで、一番大きな地震」を体験した方たち、実際に被災して避難している方達と、海外にいる私たちの間には、温度差があることはわかっています。どんな言葉をかけても、その差は埋まることがないが、それでも言いたい。

東北沖地震で、亡くなられた方、被災した方々、避難している方々、そのご家族やご親戚、お友達・・・。すべての方々に、心からお見舞いを申し上げます。海外にいる私たちも、被災地のことや現場で働く仲間たちのこと、関東在住で余震や原発の心配をする友人や家族を、思わない日はありません。私たちにできること、募金や寄付や、いろいろなチャリティーイベントが、ここシドニーでも開催されており、復興の一助になりたいと思っています。

津波や地震の被害に遭われて被災している方たちが、原発の事故によってさらに苦しんでいることも、私たちの胸を痛めています。シドニーでは、日本人の対処能力を讃える報道もたくさんされていました。日本は世界中から愛されている国だとも言われています。被災された人々、自治体やコミュニティの力が強く、洗練されていることは、本当にすごいことだと思います。しかし、原発の問題が発生してからは、日本政府は、もう少し情報を公開する必要があるのでは、という論説が出てきています。

状況が違うので、安易に比べることはよくないと思いますが、先のオーストラリア、クィーンズランド州で洪水がおきた時には、州知事であるアナ・ブライ氏は、目を真っ赤にしながら、すっぴんでテレビにでて、知事による記者会見を連日数時間ごとに行っていました。記者からの質問にも、すべて自分で答えていました。また洪水発生から数日以内には、現場に出向いて被災者を励ましていました。情報公開という意味においては、彼女の姿は立派だったと思います。こういう人をリーダーというのだな、と私はその時妙に感心したのを覚えています。

日本では、首相が3週間経ってから被災地視察をしたとニュースで見ました。現場が迷惑だからこないでくれ、と言っていたのかもしれませんし、忙しかったのかもしれません。しかし、普段は他国の政府のことをいちいち批判しない夫も、テレビを見ながら、首相のことを、"He is not in touch with the people…人々の心に触れていないね。。“と言っていました。

原発のことは、言うまでもなくもっと信頼性の高い情報が必要でしょう。小さな子どもを持つ姉は、「ただちに影響はございません」が、子どもの将来のことを心配しています。一方で、がんで治療中の父は、「放射能が飛んできたら、放射線治療でがんがなおるかもな」と不謹慎な皮肉を言っていました。個々人の状況の違いで、その差はあるにせよ、みんなそれぞれ放射能に対する不安を抱えていると思います。

政府や東電の方達は、がんばっていると思いますが、子どもを持つ母親たち、妊婦さんたち、卵子を抱える女の子たちのことを、もう少し思って活動してほしい。官僚たちは、これはあなたたちの面子の問題では全くなく、今を生きる人々だけでの問題でもなく、胎児の中に宿る卵子たちの、つまりは未来の問題でもあると、もう少しだけ自覚してほしいと思っています。

机上の空論にすぎない批判で虚しいです。私自身は、福島の原発なしでは成り立たなかったであろう“豊かな”生活を、日本で享受してきました。そのときは、無関心の罪、原発のことを全く考えませんでした。明るい東京が好きで、シドニーに来たときには、町の暗さが嫌で、東京が恋しくなった時が何度もありました。私は日本人だから、若干暗くなった東京もきっとそのまま大好きだろうと思います。誰をも批判する権利は、私には本当はないけれども、ここから見えた日本について、愛する母国のことを思いながら書きました。
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by gonzalesK | 2011-04-04 17:50 | Life in Sydney

You are what you eat

2011年2月14日(月)


フランスの諺には、"Tell me what you eat, and I will tell you what you are” と言われるものがあるらしい。意訳すると、「あなたは、あなたが食べたもの」となるだろうか。

私は、この諺をだいぶ前に日本で聞いたとき、食事は身体をつくる源なので、栄養面で良いものを食べましょう、というヘルス・プロモーション的な言い伝えなのかと思っていた。しかし、今回1月から2月にかけて3週間ほど日本に滞在して、これはもう少し意味のある言葉なのかもしれないなと気がついた。

何て言ったらいいのか、人間の「食」というのは、ものすごく社会性を帯びていて、その社会やまつわる文化も、その行間にある人々の思い、雰囲気とか愛情をまるごと食べつくして、"You are what you eat" になるかもしれないと改めて感じたのだ。

例えば、父の妻が作ってくれた祖母の味直伝のお雑煮とか、姉が日々作ってくれた肉じゃがとか豆腐鍋とかカレーライスとか、家族で囲む暖かい食卓が、私の血となり肉となり、わたしはわたしの食べたものになる。

一歩家を外に出ると、そこには社会があり、大学院の同級生宅でのまったりとした家のみ(ゆず酒や白ワインなどをみんなで何本も空けた)、20年来の旧友宅で頂いた寒ブリと白ワインといちご(塩昆布浅漬けを共食い)、自称高貴な宇宙人お手製のしめさばとシーフード・グラタンとおみやげのオーストラリア・ワイン(プロの味です)、いつもお世話になっているIさんカップルからごちそうになったmarble神戸牛(私は生まれて初めて、ステーキ通の夫もその味と鉄人シェフの技にびっくり)などを頂き、文字通り私の肉ができる、というか増える。

その他にも、料理上手のSさんが作ってくれた韓国風お好み焼き、姉が昼間から飲んだ吉祥寺いせやの焼き鳥、大学時代の同級生宅(新築!)での素敵な女子会、助産師時代の同僚と食べた新小岩のラーメン、夫のJapanese sistersたちと横浜の夜景を見ながら頂いた旬のかき料理、Iさんと英国助産師Hさんと御徒町で頂いたビビンバ、大学院の恩師と築地で頂いた油ののったぶり、大学院の同志と食べた地元川越のうなぎの蒲焼きとチーズケーキ、喜多院の節分祭でキャッチした副豆、シドニー時代の同志と食べた再び川越の天ぷら、、、。

日本滞在中は、大好きな人たちとおいしい食を囲み、たくさんの元気を頂いた。こうして一回り肥えてしまったが、同じ時と食を共にしてくれた方々に、感謝の気持ちでいっぱいである。特に、結婚してから自分が食事を準備する立場にたったからか、“食事を頂く”ということを大変ありがたく感じた。

3週間ぶりにシドニーに戻ると、街は赤いランタンがあちこちに溢れ、中国の旧正月をお祝いするムードがあった。早速、夫とともに中華系ベトナム人が経営する近所で評判のお店に、ベトナムヌードルのフォーを食べに行ったりした。

もうすぐ食欲の秋のシドニーで、私はこれからもいろいろなものを食べていく。
I am what I eat.





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by gonzalesK | 2011-02-14 16:00 | Life in Sydney

MAKE a happy year !

2011年1月

中国の旧正月も間近ですが、新年あけましておめでとうございます。

シドニーでは、シドニー湾で繰り広げられる花火を見ながら、新年のカウントダウンをした。年末には、日本に住む父の病気のことがあったり、永住権のビザ申請でごたごたしたりと気持ちが少し落ち込んでいた。しかし、花火のどーんという大きな音を聞いて、何だか元気が出た。

元旦は、お正月恒例?のビーチへ。シドニーで一番大好きなビーチ、Manly Beach で夫とFish and Chips を堪能した。砂浜には、他にいくところもないのか、人々でごったがえしていて、何だか活気があった。砂浜に、指で "A Happy new year" と書いて、いい感じだったので写真を撮ろうと思っていたら、一瞬にして波がやってきて、その文字たちをさらっていってしまった。

波は、そんなことはおかまいなしで休むことなく、おしてはかえし、おしてはかえすをただ繰り返す。良い波がきたら、タイミング良くその波にのっていき、一方で、じっと良い波を待つしかないときもある。

今年もみんなにとって素敵な年になりますように。
世界が少しでも平和になりますように。


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by gonzalesk | 2011-01-26 12:43 | Life in Sydney

12月の満月

2010年12月21日(火)

アルバイト先のNursing Home は、20世紀初期に建てられた洋館で、もともとは地域の医院としての役割を果たしていたという。宗主国の英国の影響を受けたゴシック建築はこじゃれており、その外観からは、ここがNursing Home だとはなかなか思えない。経営的に、半分は公立、半分はキリスト教系の慈善団体による運営である。オーストラリアは、福祉政策が整っているというイメージがあるが、実際は、まだまだいわゆるチャリティなどに頼らざるを得ない現状があるようだ。

町がクリスマスのデコレーションで賑わうようになると、ここのHome でも職員たちがこぞってクリスマスのデコレーションを始めた。大きなクリスマスツリーに、白い壁が赤、金や銀に彩られていく。オーストラリア人にとって、クリスマスは、お正月なんかよりも1年で一番大切なイベントである。

夕方からの勤務に私が入ると、インチャージのナースが、「満月の夜は、荒れるのよね。痴呆症の患者さんたちは、みんな何だか興奮するしね。今日は忙しくなるわよ〜。」と言っていた。どこかで聞いたことのあるセリフだなと思ったら、そうか助産師として働いていたころは、そんなことを言いながら夜勤に入っていたなと改めて思い出した。満月は、何か特殊な光でも放射しているのだろうか。

ナースが予期したように、その日は確かに忙しかった。痴呆症のスミスは休みなく徘徊し、100歳なのに、どこにそんな体力があるのだろうと私たちに思わせるほどであった。大きな身体で青い目、高い鼻で、古い洋館の中をずたずたと歩く姿は迫力がある。106歳のサマンサは、大きく美しい目と高い鼻、腰の曲がり具合など、その容貌から、黒いマントをかけて林檎を持たせたら、絵本の中に出て来る魔法使いのおばあさんそのままである。彼女は寂しがりやで、私たちを呼ぶために10分おきにナースコールを鳴らした。

どんなに忙しくても、終業時間前に仕事が終わるのが、オーストラリア流である。仕事を終えて、私は、今日は本当に満月だったのかなと早速確認してみた。見上げた空には、まんまるな大きな月が、シドニーの街を見下ろしていた。

I wish you a Merry Christmas and a fulfilling and successful year in 2011




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by gonzalesK | 2010-12-30 00:07 | Life in Sydney

シドニーのあたたかい人たち

2010 年11月30日(火)

18週間にわたるTAFEの英語コースを、先週修了した。コースが始まった頃は、冬の長雨が続くシドニーで、私のホームシックはピークであった。

自己紹介で、「日本が恋しいです。日本は、経済先進国の中で唯一乳がんの死亡率が上昇しているし、望まない妊娠と、それに伴う人工中絶率の高さには問題があり、women’s health issues –女性の健康問題がたくさんあるので、私は助産師として、日本でやり残してきたことがたくさんあります。なので、いつの日か夫を看取ったら、日本に帰ってまた働きます。」と話した。

私の自己紹介を聞いて、在豪歴15年という韓国人のチュンは、大きな声で笑った。さすが、アジアのイタリア人である。「わかる〜その気持ち!私も最初の5年は、ずっと韓国のこと考えていたわよ。」と話してくれた。チュンさんは、マーケットに買い物に行っては、シドニーで電車に乗っては、韓国と比べて文句を言っていたという。それをやめたのは、時々帰省していた韓国に、自分の居場所がないことに気がついた時だという。それからは、シドニーが、自分の住む場所なんだと思って改めて腹をくくったという。

ドイツ人でクロアチア人のアンディは、「こんぶのパートナーさんは、お年を召しているの?何か病気をしているの?」と心配してくれた。そうではなくて、何十年も後の話である、と私は追加で説明した。アンディは、ドイツで産まれたが、両親がクロアチアからの移民だという。ドイツでは、クロアチア人と差別され、成人してからクロアチアで暮らしてこともあったが、そこではドイツ人と差別され、オーストラリアに来て7年、やっとここが自分の母国だと思えるようになって来たという。

在豪2年のエジプト人医師は、「僕も、ひとつの腎臓を売る思いで(日本語だと“断腸の思い”と同義語の例えだろう)、子どもたちの未来のために、ここに移住した。中東で民主的な国なんてないからね、みんな将来を心配しているんだよ。サダムフセイン時代のイラクが独裁国家で、アメリカに攻撃されるなら、中東の国は、みんなアメリカにやられてしまうよ。幸い、資源がない国は、ターゲットにもならないけどね!」と話してくれた。それでも、私と同じ在豪2年、懐かしいエジプトの音楽を聞くと、ほろりと涙が出てしまう、と打ち明けてくれた。

中国人医師で、鍼灸師でもあるアンドリューは、シドニーで鍼灸師としては、10年以上働いているが、今は医師の資格を目指している。日本の鍼治療用の針は、世界一で素晴らしい、日本製以外の針を治療で使用したら、その結果に差がでるから、日本製の針しか使わないと話してくれた。

スリランカ人医師で、アフリカのある地域で、国境なき医師団のメンバーとして働いていたこともあるというシラは、「僕たちのチームに、日本人の産婦人科医がいた。彼女は、英語が苦手だったのか、あまり話はしなかったけど、彼女が行う帝王切開は、とても美しかった。日本人は、手が器用なのだなと思ったよ。」と話してくれた。彼の両親のお家は、スリランカの内戦で破壊されてしまい、今は親戚のうちに住んでいる、早くこちらで医師になって、両親を呼び寄せるのが夢だ、と話してくれた。

みんな自分の体験を話してくれたり、時々日本をもちあげながら、私を慰めてくれた。それが、このコースのスタートだった。その後、同級生たちと、掛け替えのない時間を過ごした。寒いシドニーで、あたたかいクラスメイトたちと出会いだった。


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by gonzalesK | 2010-11-30 13:52 | Life in Sydney

English is everything - 英語がすべて

2010年10月30日(土)

シドニーは、春の到来本番、色とりどりの花が街を賑わすようになった。

Nursing home でのアルバイトの傍ら、8月から、TAFEという公立の専門学校の英語コースで医療英語を勉強し始めた。4月まで通ったUNSWの英語学校の同級生の多くは、私と同じ new migrants-新移民-だったのに対し、TAFEの同級生は、移民して何十年という年季の入った人たちが多い。移民歴2年の私は、ここではまだまだあまちゃんなのだ。

TAFEでの学びは、成人して移民したからには英語を一生涯学び続けなければならない、ということだ。また、移民歴の長さと英語の堪能さは、必ずしも比例しないということも、ここに来て初めて気がついた。

中国籍を捨てて(中国は日本と同じように、二重国籍; a dual citizenshipを認めない)、オーストラリアの市民権を得た中国人のシャンさんは、滞在4年目だ。故郷に帰る時は、シドニーの中国領事館で観光ビザを得なければならないのが悲しい、というシャンさん。

彼女は、母国で会計士をしていたが、こちらに来てからナースになるための勉強を大学で、医療英語を補うためにTAFEで勉強している。彼女は、"English is everything since we have migrated to Australia - オーストラリアに移住したからには、英語がすべてだ"、と言い切る。確かに、滞在期間が4年のシャンさんの英語は流暢で美しく、滞在期間10年、20年の他の中国人移民の同級生たちの話す英語と、さほど変わらない。シャンさんの努力の結果なのだろうなと思う。

移民歴が10年以上の同級生たちは、「滞在期間が一桁のうちに、苦労をしておいたほうがいいよ。」とアドバイスをしてくれる。インドからの移民の私たちの先生は、「 The first generations of migrants are usually suffering from home sick, always miss their home countries, whereas the second generations are growing up as an Australian without any doubts and problems ! - 移民の1代目は、一生涯ホームシックに悩まされ、故郷を恋しく思う。2世はなんの問題もなく、オーストラリア人として成長して行く。」と自分の経験を交えて語ってくれた。

先生のその言葉を聞いて、みんなそんなものなのだな、とかえって安心した。移民の期間が二桁になるときがくるなんて、今は想像できないけれど-- シャンさんの名言を心して、目の前の課題に取り組んで行こうと思っている。


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by gonzalesK | 2010-10-31 14:15 | Life in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
by gonzalesK
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