続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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No violence No silence

2010年9月9日(木)

世界中の注目を集めていないオーストラリアの総選挙の結果が、ようやく出たようだ。Labour (労働党) の勝ち。しかし、わずかな差で Liberal より議席数を上回っただけだから、どうなのよ、という人も多い。ケビン・ラッドにひどいことをしたり、鼻の高い客寄せパンダと言われてしまったり、いろいろな評判はあるにせよ、女性の首相がその座を継続するというのはいいなと思う。ジュリアさんは、“法的な婚姻関係のないパートナーと首相官邸に引っ越すオーストラリアで初めての首相”だそうだ。

先日は、ある女性の役人が、テレビで、世界中の先進国政府は“テロ”の予防のために莫大なお金を使っているが、女性がDVにあって死亡する確立の方が、テロにあって死亡する確立よりも有意に高いと訴えていた。本当にそうだろうなと思った。オーストラリアでも、1週間にひとりの女性が、DVによって命を失っている。加害者の大多数は、被害者のパートナーか元パートナーだ。

テレビの中で彼女は、オーストラリアのさまざまなgender gap を埋めるため、女性のための支援を計画していくと言っていたが、ここぞとばかりに首相の力量を発揮して欲しいなと思う。




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by gonzalesK | 2010-09-09 16:32 | Life in Sydney

Midwife in nursing home

16/ 7/ 2010


My husband has always asked me to write my Konbu’s diary in English since I started it. But I was so reluctant that I continue to write them in Japanese because it was also kind of my stress management. One says that writing a diary is as if having a shower and cleaning your heart, which means a mental self-care, rather than just recording what happening in your life.

What she or he said is true, I enjoy it and feel refreshed when writing them. However I recently feel that I want to try writing them in English to share my feeling with my non-Japanese friends, especially with my two honorable European friends, one who loves learning English and one who hates, and of course with my husband as well. I am not sure whether this English diary will be the last one or not. Who cares? So I will try it, anyway.

My new job in a nursing home- I can say “so far so good”. Things are going well. One director in the nursing home said that I should be a registered nurse soon- I was impressed because she encourages me to be a RN here in Australia and accepted me as an assistant nurse even though I do not have any Australian certificate .

Most of the residents are suffered from dementia. One day, one resident, who are not suffered from dementia, asked me if I was a nurse in Japan and which field I used to work. I said that I worked in a maternity unit as a midwife in my home country. She first smiled and corrected my pronunciation of “MATERNITY”, in which the word should be stressed on the second syllable. And then she said that it was great even this geriatric field is the complete opposite to midwifery as if the ending stage of life and beginning of life.

I totally agree with her – both stages of life are quite different. But I feel both of them are somehow similar, particularly both of them are “mysterious”- I mean that both phenomena, happening in a newborn baby and an elderly with dementia, are still difficult to be described by scientific research. I might find a reason; why does a midwife work in geriatric field?



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by gonzalesK | 2010-07-16 13:08 | Life in Sydney

クラスメイト、その後

2010年7月3日(金)

冬の寒さが本格的になってきた。今年は、例年になく厳しい寒さの冬になるということだ。

そんな中、以前の英語学校の同級生たちが久しぶりに集まった。世間では、ワールドカップが盛り上がっているが、サッカーにうとい私たちは「ペレは、ブラジルで元気にしているのか?」などという話にとどまった。

ブラジル人のイザベルは、2月に美しい男の子を授かった。陣痛はさすがにつらかったが、硬膜外麻酔を使用してからは「あと10人は産めると思った!」という。産後の授乳や夜泣きはしんどくて、「子どもをつくるという大きな間違いをおかした」と思ったが、最近は落ち着いてきたという。

イタリア人のマリアは、ミラノに残して来た息子のことが恋しくてしかたがない。 イタリアン・ママは、ヨーロッパでは、母性愛が強いことで有名らしい。もともと息子以外にも、南極と海洋動物をこよなく愛する彼女。最近、オーストラリアの環境NGOで「クジラの航海路を守るためのリサーチ活動」のボランティアをしている。それでも彼女は私に「どうして日本人は、クジラを捕獲するのか」などという野暮な質問はしない。

フランス人のアグネスは、家族とともにフランスに帰国することになった。自身とパートナーのキャリアを考えると、今はオーストラリアに移住する時期ではなかったと判断したという。シドニーに残される私たちには、これは悲しいニュースだが、私たちには彼女たちの判断を尊重することしができない。彼女と必ずの再会を約束した。

そして私は、近所のNursing home (高齢者施設)で、Assistant in Nursing (看護助手)のアルバイトが決まった。仕事から離れてしばらく経ち、仕事をしている女性はきらきらと輝いているなあと最近強く感じるようになっていた。英語を上達させるためにも、シドニーで医療関係の仕事につきたいと思っていた。

シドニーで知り合った中国人ナースは、中国では医者をしていたという。スーパーのレジうちをしているインド人のおにいさんは、インドでは数学者だった。東京でも、ビルマ難民の医師は、居酒屋の皿洗いをしていた。移民になるとは、そういうことなのだ。言葉や文化の壁という容赦ない現実を受け入れ、それでもここで暮らしていくという覚悟が移民には必要なのかもしれない。私は、そんなことをようやく気がつき始めたばかりである。


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by gonzalesK | 2010-07-10 01:14 | Life in Sydney

ユートピア

2010年4月16日(金)


英語学校では、前述したような同級生たちの出会いに恵まれ、たくさんの刺激を受けた。またこの学校で学べて良かったなと思った大きな要素に、先生たちの存在がある。

医療英語コースは、5週目と最後の週に先生たちお手製のOETの模擬テストがある。それはOETよりも難しいと評判で、先生たちいわく「本番のOETでショックを受けるよりはいいでしょ」。そんなテストを、medical journals から文献を引っ張ってきて作ってしまう先生には脱帽する。

先生たちの背景は、英語教授法の博士号を持っていたり、もともと大学でmedical science を勉強していたなどという、よりすぐりの先生たちだ。生徒の大半が、第3世界から来たプライドの高い医師たちなので、その生徒たちと同等に話ができる先生たちが選ばれた、という感じで一般英語の先生たちとはまた違った雰囲気を醸し出していた。

それでも先生たちは気さくで、何よりも英語を教えるのが好き、というオーラに満ちあふれているところが、とても素敵だった。"I suggested that she give up smoking " は、should が隠れているので、動詞がgive の原型になるとか、"It's interesting, isn't it?!;おもしろいよね" と微笑みながら教えてくれてる。授業中に、何度この "It's interesting, isn't it?!" を聞いたかわからない。先生におもしろいよね、と言われると、つまらない英文法も、おもしろいなあと思うので不思議だ。

また先生たちは、これはどうしてこうなるのか、という生徒たちの質問に対して、「理由をつべこべ考えずに、これは深呼吸して覚えるしかない」とはっきりと言っていた。私たちが日本語をひたすら覚えたように、英語でも覚えるしかないものがたくさんある。"a cold" や"a stool" は可算名詞だけど、"influenza"や "diarrhoea" は不可算名詞など、理由を考えていても仕方がないのだ。先生いわく、「覚えればパターンは後からついてくる。」。

加えて、先生たちの口からは、時々「こういう学習法は、research evidence でも効果があるとされているからね。」などという言葉が出て来ていた。例えば、「英語のspeaking を向上させるために、相手がネイティブスピーカーでなくても、どんどん英語を話しなさい。」など。つまり、英語がへたくそなもの同士でも、ひたすら話していれば、英語上達の効果があるという研究報告であるらしい。もはや、日本で白人のネイティブと話すために、高いお金を払い、駅前の英会話学校に通う必要はないのだろう。

あとは、、、先生たちは私たちに、「いつもどうどうとしていなさい、貴方たちは母国ではプロフェッショナルな人たちなのだから。ただ言葉ができないだけ。それでも、いつか必ず道は開ける。できることから始めなさい。ある中国から来た医師は、シドニーで何年もタクシードライバーをして、ラジオを聞いてお客さんとおしゃべりをしていた。それから、一発でOETに合格した。」と言っていた。

頼もしい先生に、個性あふれる同級生。窓の外の大きなユーカリの木にとまる鳥たちとその鳴き声。本当に平和な時間が流れ、ユートピアのようだと思った。一歩学外に出れば、バス運転手に無視されたり、雄叫びをあげる薬物中毒者に、お金をせがまれたりする。それでも、先生たちのような応援してくれている人たちがいるので、学外に出てしっかりと冒険しようと思っている。


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by gonzalesK | 2010-04-30 15:39 | Life in Sydney

医療英語コース修了!

2010年4月16日(金)


今日で、10週間の医療英語コースが終了し、心にぽっかりと穴があいたような気分だ。

海外の医療従事者がオーストラリアで働く場合、一定の条件を満たせば、医療免許の書き換えができる。しかし、何はともあれ英語ができなければ、免許証はただの紙切れにすぎない。英語の試験は、Occupational English Test for Overseas health professionals (OET;海外医療従事者のための英語試験)をパスするか、IELTSで7.0以上のスコアを取らなければならない(医師と薬剤師は7.5)。今回のコースは、OET受験のためのコースだった。

同級生には、イラクから来て妻も両親もいて、子どもも最近産まれたという医師もいて、みんな必死で勉強していた。恐らく彼は難民としてやってきたのだと思うが、「僕は、ここで外科の専門医になるために来た!それが僕の目的だ。」ときっぱりと言い切っていた。渡豪した理由は何であれ、それをどう生かすか、だ。休み時間には、「日本語で僕の名前をどうやって書くの?」と聞いて来て、「 阿羽間怒;アハマド」などと書いて笑い合っていたが、私は彼を心から尊敬している。

バングラディシュでは、お見合い結婚が主流なようで、結婚のためにシドニーにやって来た、という医師も2人いた。夫や妻がこちらで働いていて、祖国で一回デートして結婚、そして渡豪というパターンである。親のいうことは絶対なので、結婚を断り、母国でキャリアを積むという選択肢はなかったようである。

それでも、バングラディシュやスリランカの医師は、大英帝国の名残で、医学を英語で勉強しているので、医療英語には全くといって良いほど問題ない。内科学はハリソンで、小児科学はネルソンで、産婦人科学は、ウィリアムで学んでいるのである。私は、よく彼らの隣に座って、医療英語を教えてもらった。

しかし、英語に流暢な彼らが 、"Take a cup of tea" などと言うと、先生に" tea やfood にtake は今はもう使わない! それは100年前の英語!”とぴしゃりと言われ、植民地占領の影を見たような気がした。21世紀は、have a cup of tea なのだ。日本語が刻々と変化していくように、英語もまた変化しているようである。

中国から来た医師と看護師は、もちろん4000年の歴史を持つ中国語で、医学や看護学を習って来たという。なので、私と同様、医療英語には文字通り四苦八苦していた。私たちは、“扁桃腺摘出術”や“透析”など、時に漢字で筆談し助け合っていた。彼女たちは、「がんばりましょう!」「いただきます!」となどという日本語を知っていて、それは漫画を見て覚えたという。

アフガニスタン出身の医師は、早朝カフェで働いてから、クラスに来ていた。8歳から、家族でイランに移住したので、イランの医師免許を持っている。しかし、彼にとっての母国はアフガニスタンであり、彼のアイデンティティは、いままでもこれからも“アフガニスタン”だと言う。

休み時間には、自分のアイデンティティがどこに帰属するか、子どもたちに自分たちの宗教観やアイデンティティをどう伝えていくか、とみんな真剣に話していた。

そんなこんなであっという間に10週間が過ぎた。気がついたら、シドニーはすっかり秋をむかえていた。



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by gonzalesK | 2010-04-27 16:57 | Life in Sydney

outcomes

2010年3月26日(金)


ある日、英語の先生が「今は本当に、outcomes (結果)が重視される時代だよねえ。」とぼそっとつぶやいた。私は、世界中でそういう傾向にあるんだなあと改めて思ってうなづいた。

JICAの仕事を長年している知人は、「こんぶちゃん、最近はねJICAとJBICが統合されて、頭のいい職員が増えたよ。けどね、アウトカム、アウトカムってさ、報告書を書くためにプロジェクトを行うような人たちも多くてね、さみしいよ。そんな結果なんてすぐには出ないよね。人間のことなんだからさ。現地の土のにおいがするような専門家が減っているんだな。」とさみしそうに言っていた。

また、以前、厚生労働省の自殺予防課で働いていた医務官の知人は、「日本の自殺率は、世界一だからね。それを減らさなきゃいけないのはわかるよ。でも数値にはなかなか、ねえ。。職員の私たちが自殺したくなるよねって言いながら仕事しているんだよ。」とひきつった笑顔で話してくれた。

偶然にも、新聞におもしろい詩が載っていた。作者も掲載されておらず誰の詩なのかはわからない。


Outcomes

The world is full of outcomes
Each day delivers more
At breakfast time there's only two
By lunchtime there are four
By dinnertime there will be eight
At Bedtime there's sixteen;
So many, many outcomes and
I don't know what they mean
And so we live our lives away
With outcomes big and small
Until the final outcome comes
With no outcome at all

世界はアウトカムであふれている
日に日に増えていくアウトカム
朝食の時は2つだったものが
昼食の時は4つに
夕食の時には8つに
眠りにつく時には、16になっている;
たくさんのたくさんのアウトカム
アウトカムなんてわからない
だから アウトカムぬきで生活していこう
小さなアウトカムも 大きなアウトカムも
アウトカムのない
最終的なアウトカムを得るまで


(文中意訳:gonzalesK)




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by gonzalesK | 2010-03-26 21:03 | Life in Sydney

International women's day - 世界女性の日

2010年3月8日(月)

シドニーの雲がだいぶ低くなってきて、秋の気配を感じるようになった。おいしかったマンゴーも八百屋から姿を消し始め、ぶどうや桃が店頭にならぶ。

明日は、世界女性の日!シドニーでも街の中心で、アムネスティインターナショナルなどがイベントを行っていた。時間がなくて、足早に通り過ぎてしまったのが残念だった。

特に、女性への暴力はどこの世界でも重要な問題だ。以前働いていた病院は、DV対策に力を入れていた。普段、病院を利用しない女性でも、妊娠をきっかけに病院にかかる。その時期にスクリーニングをすることは、DVの顕在化の一助となる場合がある。女性の3人に1人が、何かしらの暴力を受けた経験があるというから、これこそ公衆衛生上の問題だ。

病院の外来には、レイプ被害者のセカンド・レイプを予防するために、医療者の心得や被害後の検査キットなどが設置されており、ガイドラインなども独自に作成されていた。これらが必要なければいいなと思いながらも、外来には昼夜問わず、レイプ被害者が診察にきているようだった。こんなにも被害者が身の回りにいるということは、加害者もそれだけいるということなんだなと漠然と思った。

DVも戦争も、暴力という言葉には、思わず目を背けたくなる。それでもがんばっている人たちはたくさんいて、そんな仲間たちに思いを馳せる。



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by gonzalesK | 2010-03-08 20:07 | Life in Sydney

がんばれ Made in Japan

2010年2月24日(水)

昨日は、私たちのシドニーでの結婚記念日だった。その日の夜、買って1年も経っていない韓国製の冷蔵庫が壊れた。多少値が張っても、やっぱり日本のものを買えば良かったね、と夫と話していた。

医療英語コースが始まって、早3週間目に入る。同級生のイラク人の医師は、とても親日家で「すべての日本人と日本製品はすばらしい。1980年代、イラク中に Made in Japan の電気製品が溢れていたけれども、今でもまだ使えるほどに質が良い。日本人が大好きだ!」と熱く語る。

彼は、私の電子辞書を目をきらきらさせながらのぞき、「日本の製品は美しいね!」という。私が、これはMade in China だよ、というと、「しかし、中の小さいパーツは日本で作られているに違いない!」というので、私はきっと中もMade in Chinaだよ、とは言わずに「そうかもね。」と答えておいた。

Made in Japan もしくは、日本のブランドの高い信頼が、伝説となる日がやってこなければいいなと思う。特に、TOYOTAのリコールの問題は、(まだ)影響を受けていないオーストラリアでも大きくとりあげられている。オーストラリアでも日本車への信頼は厚く、TOYOTA のPriusは、Japanese Mercedes Benz と、HONDAの車はJapanese BMW と言われているらしい。

私は、車のことがわからないので、TOYOTAのニュースもさほど気にしていなかった。しかし、最近になって、TOYOTAのニュースは、ラジオや新聞のニュースなどで、Health issue (健康問題)に分類されるようになっており、どうして健康問題なのかなと気にするようになった。今日、米国の議会公聴会で涙ながらに被害を訴える女性の話などが報じられて、そうか、これはもうPTSDとか交通事故に関連するpublic health (公衆衛生)の問題なのだなと思った。

シドニーでテレビを見ていると、世界一の自動車会社、"Safe, reliable, fuel efficiency(安全性、信頼性、燃費が良い) "のTOYOTAの車がなぜこんなことになったのか、FordとかGMだったらわかるけど、とオーストラリア人が素朴に疑問を持っていることがわかる。

お上の問題はさておき、末端で働くTOYOTAのひとりひとりの技術者は、きっと素晴らしい技能を持った人たちなのだと思う。どうか、がんばってほしい。オリンピックより、こちらを応援したいくらいだ。(こちらでは、オリンピックの報道が日本のそれと比にならないほど少ないので、バンクーバーで何が起こっているか把握できていないけれど)

それにしても、会社名は、TOYOTAなのに、なんで創設者の孫の現社長さんは、Toyoda なのだろう。鋭いイラク人のクラスメイトに、そのあたりを質問されそうだけれど、わからないな。
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by gonzalesK | 2010-02-24 15:25 | Life in Sydney

Island home

2010年2月6日(金)


オーストラリアの歌手、Chiristine Anu はアボリジニだ。マーク先生が私たちに紹介してくれる歌は、だいたいがちょっと古くて懐メロ系だ。しかし、すでに懐メロ世代に突入した私の耳には心地よく響く。きっと、韓国(日本?)のアイドル東方神起たちに夢中な若い中国人やペルー人の同級生たちには物足りないかもしれないけれど。(ペルーでも彼らは大人気みたいだ。彼らについていろいろ質問されたけれど、全く答えることができなかった。)

マークが紹介してくれた 彼女の Island home という歌は、もともとパプアニューギニアとオーストラリアの国境のケープヨーク半島出身の彼女が、海の美しい故郷を思って歌ったものだという。日本の島唄に通じるものがあるかもしれないと思ったけれど、意外にももっとポップな感じだった。

Island home - Christine Anu

Six years I've been in the city
and every night I dream of the sea
They say home is where you find it
Will this place ever satisfy me
For I come from the salt-water people
We always live by the sea
Now I'm down here living in the city
with my man and the family

My island home
It's waiting for me


http://www.youtube.com/watch?v=koTfcRaLIqs

(you tube で見ることができます。とにかく美しい女性です。)

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by gonzalesK | 2010-02-07 00:24 | Life in Sydney

ごめんなさい

2010年2月5日(金)


一般英語を学ぶ最後の週は、オーストラリアの先住民族、アボリジニがトピックだった。オーストラリアに移住したからには、これだけは知っておかないとということを先生たちが熱心に語ってくれた。

特に、1890年から1970年代まで国をあげて、アボリジニの子どもたちを白人のように教育する白人同化政策が施行されていた。子どもたちは、その意志に関わらず両親から引き離され、“保護”という名の目的でキリスト教会や、白人のもとへ養子に出された。この世代の人たち、数万人の人々は、“stolen generation - 盗まれた世代" と呼ばれている。強制的に養子に出され、幸せに暮らしたアボリジニの人は、ごく少数だという。多くの人が、奴隷のように扱われたり、性的虐待を受けたりしたという。

オーストラリアの人権団体は、stolen generation の人々に聞き取り調査をし、政府に公式な謝罪を長年要求し続けていたが、それがかなうことはなかった。しかし、2008年に労働党政権が発足すると、ラット首相は正式に人々に謝罪をした。

ラット首相は、40分にもおよぶ謝罪のスピーチを国会で行った。先生は、その日は、全オーストラリア国民がテレビを見ながら興奮し、先生自身もスピーチを聞きながら涙が止まらなかったと言っていた。先生は、私たちにスピーチのビデオを見せてくれた。私はビデオを見ながら、英語と日本語の違いなのか、ここまで実直に謝罪する首相はすごいなと思った。政権が変わっても、日本の政治家は、ここまで素直にアイヌの人々に公式謝罪をできないだろう。

「------- For the pain, suffering and hurt of these stolen generations, their descendants and for their families left behind, we say sorry. To the mothers and the fathers, the brothers and the sisters, for the breaking up of families and communities, we say sorry. And for the indignity and degradation thus inflicted on a proud people and a proud culture, we say sorry.--- ;

盗まれた世代の痛みと苦悩、その子孫の人々や家族の方々に謝罪します。そのお母さんやお父さん、兄弟姉妹、家族やコミュニティを破壊された人々に謝罪をします。また、誇り高い人々、誇り高い文化を破壊し、侮辱し深い苦しみを与えたことを、謝罪します。---」

また、ラット首相は盗まれた世代の一人の女性と会って、話を聞いたことをスピーチで述べていた。1930年代、4歳のときに彼女は、家族と引き裂かれ教会で暮らし、それから両親に会うことは一生涯なかったという。

「--- I asked Nanna Fejo what she would have me say today about her story. She tought for a few moments then said that what I should say today was that all mothers are important. And she added: Families- keeping them together is very important. It's a good thing that you are surrounded by love and that live is passed down the generation. That's what gives you happiness. Hers is just one story....

その女性に、私たちに何か言いたいことがありますか、と問いかけました。その女性は、少し時間をおいて、このように話してくれました。“お母さんというのは、もっとも大切な存在です。そして、家族が一緒にいることが大切です。お母さんの愛が子どもたちへ、またその子どもたちへと世代をつないでいく。人々は、こうして幸せになるのです。私は、家族を引き裂いた人々を許します、私のような物語は、万とあるでしょう。”---」

謝罪と保障が伴わないとか、いろいろな批判もあるけれど、公式謝罪がオーストラリアの歴史に新たな1ページを刻んだことは間違いないようだ。



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by gonzalesK | 2010-02-05 15:27 | Life in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
by gonzalesK
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