続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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Beds are burning -ベッドが燃える

2010年1月25日(月)

新学期の英語クラスが始まって、あっという間に4週間目に入った。今回のクラスメイトは、3割くらいが中国からの移民、あとはイラク、イラン、ロシア、ビルマ、ベトナム、マレーシア、ハンガリー、フランス、ルワンダ、ペルーからと多文化である。先生は、クラスでUnited Nation(国連)ができるねと笑っていた。

今週のトピックは、environment- 環境。それぞれの出身地の環境問題について、グループで話しあっていたときのこと。中国から来たリーさんが、「中国では、dust storm (砂嵐)がとても深刻な問題です。」と話した。私が、「そうですよね、中国から黄色い砂が飛んで来て、日本でも問題になっていました。」とついでに述べた。リーさんは、「それはね、日本人は今はウールではなくて、カシミアが好きでしょ?中国では、日本の需要を受けて、カシミア羊がたくさん育てられるようになっています。その羊たちが、草を全部食べてしまい、土地が砂漠化して黄色い砂となるのですよ。」とにっこりと答えてくれた。

私は、リーさんの話を聞いて、「I see...そうですかあ。」という間の抜けた返事しかすることができなかった。確かに、ユニ○ロのホームページなどをのぞいていても、いつからこんなにカシミアが身近になったのかなと思うような商品が、ぞくぞくとでている。日本側としては、良質で安価なカシミアを中国から輸入すると、もれなくおまけに黄砂もついてくると言う訳だ。何とも理にかなった話だと思う。

私は日本にいたときは、「中国からの黄色い砂いやだなあ。」と思っていたが、中国の人にとってみれば、「日本人がカシミアを買いたたくから、こんなことになって。」と砂漠化によって、農業や生活に打撃を受けている人もたくさんいるのだろう。私たちの消費する安価で良質な製品は、こうした人々の犠牲の上に成り立っているのだろうなと改めて思った。

クラスの最後に、陽気なマーク先生が、You tubeでMidnight oil の"Beds are burning" という歌のビデオを見せてくれた。これは、シドニーオリンピックの頃にオーストラリアで流行った歌だが、昨年のコペンハーゲン環境サミット、climate justiceキャンペーンのためにできたビデオクリップらしい 。Midnight oil は、オーストラリアのバンドで、今の環境大臣が元メンバーだ。この大臣は、環境保護活動家で有名だったのに、昨年はオーストラリアのウラン鉱山に新たに発掘許可を与えたことで、「身を売った」とマスコミでたたかれていた。オーストラリアには、原発はないが、鉱山資源としてウランがたくさんあるので、いつもその利用方法について議論になるらしい。

歌はかっこよかった。みんなで歌おう!と一番張り切って歌っていたのは、もちろんマークだった。

Beds are burning - Midnight oil

Down at the river bed
The earth is cracked and dry and dead
Fountains failing sitting baking
Steam in forty-five degrees

The time has come to take a stand
It's for the earth, it's for our land
The time has come
A fact's fact
The heat is on
No turning back
How can we dance when our earth is turning
How do we sleep while our beds are burning ?

Every hope to find a cure
From Beijing west to Timbuktu
The global village lives and breath in forty-five degrees


http://www.youtube.com/watch?v=aBTZOg6l6cA

(最初にはアナン元国連事務局長が、最後の方には東京らしき光景もでてきます)
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by gonzalesK | 2010-01-27 19:59 | Life in Sydney

あけましておめでとうございます


2010年も素敵な年になりますように
世界が少しでも平和になりますように


少しでもお正月らしくということで、何とか材料を調達し、お雑煮を作った。とってもおいしかったのだけれでも、暑くてふーふー言いながら、夫と食べた。お雑煮は、冬に食べる物なのだなと改めて思った。あたたかいおもちを飲み込むと、胃のあたりが、ふわっとあったまる。というか、シドニーは夏なので暑い!今度は、8月くらいにお雑煮を作ってみようと思った。

食物自給率が230%というオーストラリア(2008年)、だいたいの食材は揃う。今は、おいしいスイカやマンゴー、パパイヤも店頭に出回って、やはり北の方は熱帯なのねと思わされる。シドニーに暮らして約1年、豆腐はここのコリアンショップ、薄切りの牛肉はここ、豚肉はここのチャイニーズショップ、魚はフィッシュマーケットが一番、油揚げはここ、、、と、どこで何を買ったらいいのか大体わかって来て、買い物が楽しくなって来ている。

除夜の鐘が聞きたいなとか、神社にお参りに行きたいなと思っても、ここにはない。いくら渇望しても、ないものは仕方がない。そこで、ボンダイビーチに行って来た。心が洗われるという意味では、神社もビーチも同じような気がする。裸足で砂浜を歩くと、人間ていうのは、水の中からやってきた小さな存在だなと思う。海の水は、南極の方からやってくるので、ひんやりとする。それでも子どもたちは、きゃーきゃーと遊んでいる。子どもが水を好きなのは、ついこのあいだまでその中にいて、いつの日か、そこにかえっていくことを知っているからだろうと思う。

シドニーのビーチは、青くて透明できれい。シドニーの空の色は、ころころ変わるから、海の色もどんどん変わる。サメがよってくるのも無理はない。


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by gonzalesK | 2010-01-03 15:17 | Life in Sydney

“愛”を語ろう!

2009年11月12日(木)

今日のスピーキングクラスのテーマは、“愛”--- 深く時に重いテーマだが、木曜日担当の先生、ルースの手にかかると、陽気なテーマになる。オーストラリアの日差しをいっぱい浴びて育ったという感じのルース、小さな身体に大きな声の彼女は魅力的だ。

配布された資料には 、“Love is blind; 愛は盲目”、“Love conquers all; 愛はすべてを征服する”といった言葉が並んでいる。ルースは、大きな声でそれらを読み上げた。そして、「同じような表現は、あなたたちが生まれた地域にもありますか?あるとしたら、どのような表現があるか教えて!」と好奇心いっぱいに生徒たちに問いかけた。

中国から来たファンが、「今でも、“あなたの手をとります、一緒にお墓に入りましょう”という表現は、ロマンティックなプロポーズな言葉です。」と、中国の“愛”の言葉を紹介した。西洋出身の同級生は、「お墓なんてネガティブな表現じゃないの?」と、彼女に疑問を投げかけた。私も一瞬、「結婚は墓場」という日本の古典的な表現を思い出した。しかし彼女は、「“お墓”というのは、中国ではネガティブな表現ではありません。永遠を象徴する平和的な表現ですよ。」とコメントし、同級生たちは、“なるほどぉ”と頷いた。

イタリアのミラノ近郊出身のマリアは、「私の故郷には、“村の牛が一番良い”という表現があるわ。これは、結婚は同じ町出身のもの同士でするのが一番良い、という町の教えね。まあ今では、お年寄りしかこの表現は使わないけれど。」と、ユーモアたっぷりに語った。私は、ファションの聖地、ミラノから、どんなおしゃれな愛の言葉が聞けるかとわくわくしていた。しかし、それは意外と素朴な表現で、そのギャップがおもしろいと、私は思った。

ルースが、「こんぶさん、日本はどう?」と聞いた。私は、「“愛は盲目”という言葉は、日本にもあります。あとは...“結婚前は両目をしっかり開けて相手を見定め、結婚後は片目をつぶって”という表現があります。」と日本を代表して語った。これが何故か、ルースのつぼにはまったようで、彼女は、同級生と一緒に高らかな笑い声をあげた。(夫に、日本にはこんな表現があるよと、これを紹介したとき、“僕はすでに両目をつぶっているよ”と言われたことは、ここでは言わないでおいた。)

国際結婚カップルのブラジル人のイザベルは、みんなの話を楽しそうに聞いていた。彼女は、もうすぐ妊娠後期に入る。エストロゲンが、彼女の体内でどんどん分泌されているのだろう。彼女からは、妊婦独特のオーラが出ており、週数を経ていくごとに、彼女の美しさは増しているような気がする。

同じくブラジル人のクロは、愛の表現ならまかせておけ、という感じだ。オーストラリアに来てから6年間、一度も故郷に帰っていない彼は、すっかり“オージー”である。彼は、オーストラリア人の彼女との間に2歳の娘がいて、年明けには2人目を授かる予定だ。

オーストラリアでは、事実婚は、異性間の法的婚姻と、同様の権利と社会保障を受けることができる。政権が変わったので、数年以内には、同性婚も異性間と同じような法的権利と保障を受けられるようになるということだ。もちろんここには、“私生児”や“非嫡出児”という差別的な表現はない(日本の出生届には、未だに嫡出児か非嫡出児かを問う項目がある)。

愛の形も、その表現と同じように様々だ。その多様性を、すんなりと受け入れてくれるオーストラリアは大きいなと思っている。


(同級生の名前は仮名です)


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by gonzalesK | 2009-11-14 17:35 | Life in Sydney

移民の揺らぎ 隣の庭の芝生編

2009年11月5日(木)

春のシドニーの天気は変わりやすい。もう初夏だと思っていたら、突然南風がふいて肌寒かったりする(ここでの南風は日本で北風)。

移民の心もシドニーの天気のように移ろいやすい。長年移民のための英語コースで教鞭をとるマークは、「ヘイ、最近どう?」とクラスの皆に、よく声をかけてくれる。私たちのクラスは、徐々にクラスメイトが増えて、今では15人くらいになった。チリ、ハンガリー、サウジアラビア、フランス、イタリア、タイからの移民たちが私たちのクラスに加わった。

フランスからの移民のアグネスは、フランス系オーストラリア人のパートナーとフランスで出会い、事実婚のまま2児を授かった。彼女は、社会学の博士号を修得し、パリ近郊の大学で教鞭をとっていた。パートナーの長年の希望もあって、今回一大決心し、家族でパートナーの故郷であるシドニーに移住して来た。当初18歳の娘は、パリに恋人がいるので、パリに残るということだったが、引っ越しの直前に両親と移住することを決意したという。

アグネスは、「毎日毎日気持ちが変わる。昨日は、ここに来て本当に良かったと思い、今日は、私たちの決断は間違っていたのじゃないかと思ったり。フランスでは、プロフェッショナルとしての仕事もあった、家族も友人もいたのにと思ってしまう。」とクラスの中で話した。私はアグネスの話に強く共感した。他の同級生たちも、真剣な眼差しで彼女の話を聞いていた。

授業を担当していたマークは、「みんな移民はそうやって思うのだよ。僕の祖母は、イギリスからの移民で、移住した時は、よくそのような話をしていたと言っていた。1950年代、イギリスからオーストラリアにたくさんの移民がやって来たけれども、みんな“やっぱりイギリスの方がいい”と言って、多くの人がイギリスに帰国した。そしてしばらくたってから、“やっぱりオーストラリアの方がいい”と言って、また多くの人がオーストラリアに戻ってきた。その時代は、イギリスからオーストラリアまで6週間船で旅をしたというから、今は世界が小さくなっていると思うけどね。」と話してくれた。

マークは、“移民の揺らぎの図”を縦軸(excitement;興奮状態からdepression;うつ状態)、横軸(移住期間)にして示した。移住した当初は、すべてが新鮮で高い興奮状態にあり、しばらくすると「どうして私はここにいるの?」と気がつき、興奮状態は一気にうつ状態へ下降する。しばらくは、これを繰り返し、5年くらいしたら「英語で話せることを話すのではなく、話したいことが話せるようになり」、オーストラリアも悪くないのではないかと思える日がきっと来る、と私たちを励ました。

そして授業の締めくくり、マークはホワイトボートに大きく、「The grass is always greener on the other hand ! ; 隣の芝生は青く見えるのさ!」と書いた。私は、日本にも同じような諺があるなと深く頷いた。

イタリアからの移民のマリアは、さすがラテン系の前向きで、「毎日を楽しまなきゃ、本当にここがいやだったら、私たちは故郷に帰ればいいのだから。」とクラスの後、ランチをしていたときに話した。また彼女は、「ただ、難民の人たちは今のところ帰るところがない、選択肢が無いってことを忘れちゃいけないよね。」とさりげなく付け足した。

不安定な天気が続くシドニーの街にも、ジャスミンの花は白い花びらをしっかりと開花して、やわらかく、やさしいにおいを醸し出してくれている。


(同級生の名前は仮名です)
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by gonzalesK | 2009-11-05 16:52 | Life in Sydney

移民の揺らぎ コアラ編

2009年10月30日(金)


コアラは「生きたぬいぐるみ」と言われている。そのとおり木の上にいるコアラたちはほとんど動かない。シドニーに来て1年、私は先日ようやくコアラを拝見する機会を得た。コアラは1日18時間ユーカリの木の上で寝て、残りはほとんどユーカリの葉を食べることに費やしているらしい。恐らくよっぽどのことがない限り動じないのだろう。「コアラのマーチみたい!!」とわいわい騒がれながら、観光客に写真を撮られることを物ともせず寝入る姿は、どこか達観している。

動じないコアラに比べて、移民の私は揺れている。特に、10月は私の親愛なるbest friendsが、それぞれ別口でオーストラリアを旅行して、シドニーにも滞在した。彼/彼女たちを見送った後も、それぞれの面影がどことなくシドニーに残っていて、何だか虚しい。

最初に到着したI下さんは、パレスチナ難民、イラク難民支援を共にした同志だ。パレスチナの医療支援で、I下さんは医師、私は看護師として現地に向かった。そこで、子どもたちのためのコンサートを企画したリーダーのもと、大舞台で、私は前座で歌を歌わされ、I下さんは得意な尺八を披露した。肝心の子どもたちは、地元の有名なゲストの登場に興奮して、誰も聞いていなかったのだけれど。I下さんは、20数年ぶりの親父の自分探しの旅がテーマだったようで、ウルルに向かい、そして無事に帰還した。

その後にシドニーに到着したKっちは、大学院で苦楽を共にした同志だ。骨盤の3Dのイメージがつかず、胎児が産道から出て来る過程をテキストで理解できない私に、一生懸命説明してくれた。温かいハートとクールな脳みそを持ち合わせるKっちに同級生のみんなが助けられていた。NICU(新生児集中治療室)のエキスパートであるKっち、数百グラムの赤ちゃんたちの命を守り、そのお母さんたちをケアしている。

シドニーでは、ハーバーブリッジの上を一緒に歩いたり、オペラハウスを巡ったりした。Kっちの、みずみずしい感性に触れて、私も新しいシドニーを再発見した。Kっちの旅の目的もウルルを旅することだった。ウルルの旅を終えてシドニーに戻って来た彼女は、ウルルで見た星空が、今まで旅をして見てきた星空のなかで、一番美しかったと話してくれた。

そのKっちを空港に送った後、帰りの車の中で私は、大学院で彼女と過ごしたこと、就職してからも築地でお寿司を食べたり、銀座でお茶をしたこと、たった今、動物園で彼女とコアラの写真を撮ったこと、さ細で、楽しい思い出が走馬灯のように蘇ってきて、恋しくて懐かしくて何とも泣けてきてしまった。

夫は車を運転しながら、いつまでもめそめそと泣く私を、「日本にかえったら、Kっちに会えるよね。」と慰めてくれた。しばらくして泣き疲れた私は、夫の話を聞きながら、車の中でうとうとと眠りに落ちてしまった。ふっと目を覚ましたら、そこはもう家の前だった。目を覚ました私に気がついた夫は、「コアラは18時間寝る、あとの時間はものを食べている、本当にこんぶみたいだねえ。」と、あきれたようにつぶやいた。


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by gonzalesK | 2009-10-30 20:55 | Life in Sydney

What's your cultural heritage? - どこから来たの?

2009年10月12日(月)

待ちに待った英語学校が、今日から始まった。

オーストラリアには、新移民が英語教育を受けられるプログラムがある。私のビザでは、510時間、フルタイムでおよそ半年間、大学附属の英語学校や専門学校の英語コースなど、自分の勉強したいコースを選び無料で受講できる。難民の人たちは、移民局が認めれば510時間以上勉強することができる。いろいろ細かいことはあっても、さすが移民大国だと思う。納税者からすれば、早く英語を習得してあなたたちも社会に貢献してね、ということなのだろう。

星の数ほど英語学校があるシドニーだが、私は、ニューサウスウェルス大学(University of New South Wales) 附属の英語学校を選んだ。大学附属ということで、アカデミックに強そうなこと、そして外国人医療従事者のための英語コースがあり、のちにそのコースで勉強をしたいと思ったからだ。

英語のクラスの生徒は、すべて移民または難民であり、留学生とは別枠になっている。同級生は、今のところ10人で、イラク、中国の出身者がそれぞれ3人、ブラジル、ビルマ、スリランカ出身の方たちである。

以前3ヶ月間通った英語学校は、日本人のワーキングホリデーの若者も多く、休み時間には日本語でわいわいという雰囲気だった。今回は、白髪の紳士も同級生に交えた、どこか大人のしっとりとしたクラスである。事前に英語のテストを受けてレベル分けもされているので、同級生同士のコミュニケーションもスムーズだ。

主に私たちを担当して下さる先生は、初めての授業で自身もイギリスからの移民であること、出産後10日目に夫が失踪してしまい、現在シングルマザーで子どもを一人で育てていることを私たちに語った。先生は、私たちの生徒の背景を聞く時も、あまり深く聞きすぎないように、しかし必要なことは聞き出すような配慮をしていた。それは、移民や難民の背景が、時に複雑であることを経験から知っているからだろう。そして、先生自身の背景を語ったのは、移民や、特に難民の苦労を知っているからこそ、先生と生徒の距離を縮めようとしたのではないかと思う。

先生は、オーストラリアの先住民に対する政策の多くは間違っているが、多文化主義の政策は成功していること、多民族、様々な宗教の人々が平和的に暮らすことができるこの国を誇りに思うと話した。オーストラリア人にとって、” Where are you from? : どちらの出身ですか?” という質問は無意味である、なぜなら私たち生徒も何年か後には、“ I am from Australia. ” と答えるようになるから、と力説した(どのような文化的背景があるのか質問したい場合には、” What’s your cultural heritage? ”を使うのが一般的なようだ)。

また、1950〜60年代には東ヨーロッパ、地中海沿岸の国々からの移民、1970年代はベトナム移民、1980〜1990年代はアジア移民、そして現在は中近東からの移民が急増していることを先生は教えてくれた。確かに、クラスメイトの3分の1がイラク出身である。オーストラリアは、ベトナム戦争に参戦したので、多くのベトナム難民を受け入れたという。イラクの場合も同様なのだろう。

同級生でイラク難民の方達と、いろいろなお話が出来るようになるだろうか。何年も前のことだけれど、ヨルダンでイラク難民の医療支援に従事した。それだけに、イラク難民の状況にリアリティがありすぎて、かえって様々な話を切り出すことができないとも感じる。今でも、国境の砂漠の鉄格子に囲まれた灼熱の難民キャンプや、首都のアンマンでひしめき合って暮らす難民の人々の姿を、鮮明に思い出す。

せめて、私は彼らにとって良き同級生になりたい。



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by gonzalesK | 2009-10-13 18:50 | Life in Sydney

大きな巨人と、小さな巨人と

2009年8月30日(日)

日曜日の朝、寝ぼけまなこでテレビをつけたら、BBキングのライブが始まったところだった。朝からブルースかあ〜さすがシドニー〜と思いながら見始めたのだが、私は瞬く間に、彼のとりこになってしまった。彼は、大きなお腹の上にギターを乗せて、余裕の笑顔を浮かべながら、貫禄たっぷりにそれを操っている。この人がking of Blues と言われる所以が、ブルースに関して無知な私にもわかったような気がした。

ライブは、彼のユーモアたっぷりのおしゃべりも交えて軽やかに進んで行く。「もう1曲ひいてもいい?」「もちろーん!」といった観客とのやりとりがおもしろい。テネシーのメンフィス、ライブの観客のほとんどが、老若男女の白人だということに私は驚いた。巨匠の技は、時代と人種を超えるのだなと改めて思った。

ライブを見ながら、私は神戸で助産所を営む毛利種子先生のことを思い出した。キングから醸し出されているブルースの魂のオーラは、種子先生の産婆の神髄のオーラと似ていると感じたからだ。それに、キングと種子先生は同年代だと思う。

助産の世界では種子先生を尊敬し、敬愛する助産師は多いが、私もそのひとりだ。先生が、ロンドンで開かれた国際助産学会に着物で参加したときには、日本の助産の技を知りたい、と世界中の助産師に囲まれたという。

幸運なことに、私は大学院時代に、先生の助産所で6週間ほど実習する機会を得た。助産師の技というと、どのように赤ちゃんをとりあげるかといったことに、目が向きがちだ。しかし先生は、「赤ちゃんはな、自分でこの世に出たいと思ったら、自分ででてくるんや。助産婦は、赤ちゃんが落っこちないように、やさしく手をそえているだけでええんよ。赤ちゃんの邪魔をしたらあかんよ。」とおっしゃっていた。「私は、毎日毎日同じことをしてきただけやからねえ。」小さな巨人の偉大な言葉は、今でも私の胸に残っている。

先生は、毎朝一番に起きて、お産にこれから望む産婦さん、お産を終えた産婦さんや夜勤明けのスタッフのために、芋粥をこしらえていた。学生の私たちが、朝の床の雑巾がけを終えると、「きれいになったねえ、どうもありがと。」と声をかけて下さる。赤ちゃんの布おむつにも、一枚一枚心をこめてアイロンをかける。先生は、生活そのものをとても大切にされていた。お産というものは、生活の一部ということを、先生の背中から学んだ。

そんなことを思い出しているうちに、キングのライブは終盤を向かえている。大きな巨人もきっと、毎日毎日ギターを引き続けてきたのだろう。ライブの最後に、ギターのピックを観客にばらまくキングは、まるで、打ち出の小槌をふる七福神のようだ。それに、キングの笑顔は仏様みたい。

そういえば、助産所で産まれた赤ちゃんも、仏様みたいに後光が射していたことを思い出す。キングのギターを、じっくりとまた聞きたい。
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by gonzalesK | 2009-09-02 16:33 | Life in Sydney

シドニーの休日 - ベトナム人街編

2009年8月22日(土)

すっかり春の日差しのシドニー。晴れの日の週末に、おいしいベトナム料理が食べたいね、ということになり、シドニーで最も大きいベトナム人街、Cabramatta (カブラマタ)に夫と出かけた。

シドニーの中心部から車を一時間ほど走らせ、街に到着する。なるほど、ここはベトナム人街、道を行く人々の9割がアジア人だ。商店街の看板のほとんどが、ベトナム語と中国語で、英語はちらほらと見かけるくらいだ。夫によると、昔これらの看板は、すべてベトナム語と中国語だったという。お気楽のシドニー当局も、これではまずいということに気がつき、商店街と掛け合い、英語の訳を看板に付け加えることが義務づけされたのは、ここ最近ということだ。

夫は、ここに住んでいる人々は、ほとんど旧南ベトナムの出身者だと説明した。オーストラリアはベトナム戦争に参戦したため、ベトナム難民を多く受け入れた。いわば、“難民”の先駆け的存在の人々だ。「母国を失った人たちは、みんな同じところに住みたいのだろうね。」と夫は言った。彼が高校生のときに、ベトナムからの転校生も数人いたという。夫は、彼らが故郷で起こったことを語るのを聞いて、当時衝撃を受けたと話した。

商店街を歩いていると、ビルマ語、クメール語やラオス語の看板も目に入って来る。これらは、皆それぞれ難民の送り出し国だ。インドシナ難民たちが、力を合わせながらも、ひしめきあって暮らしているのだろう。

ベトナム料理屋では、フォーと生春巻きを頼んだ。これらは、ベトナムで食べたものと同じくらいおいしかった。くるくると動きながら、店を切り盛りするベトナム人女性は、「アメリカで食堂を開いていたけれど、うまくいかなくて、ここに越して来たのですよ。ここは住みやすいから。」と話してくれた。夫は、華僑のおとうさんに「色白の美人がいたら、ベトナム人女性だと思え。」と言われて育ってきたそうだが、そのオーナーもベトナム美人だった。

食堂では、ベトナム人の家族がみんなでフォーを食べている光景が微笑ましい。子どもたちも、自身の身体にしては長いお箸を使って、行儀よく食事している。日本でいえば、日曜日のお昼に家族でラーメン屋さんに行く感覚なのだろう。食堂を出た後は、焼きたてのフランスパンや新鮮な豚肉、タイのお菓子などを購入して街を満喫した。

帰り道、夫は車を運転しながら、「バンコクや東京の空よりも、シドニーの空が一番大きいと思うなあ。」としみじみ話した。私は、老夫婦の会話のようだなと思いながらも、それは言わずに「そうだねえ」とだけ答えた。

このシドニーの大きな空が、バンコクや東京、ベトナムやラオスやカンボジアの空につながっていると思うと、何だかとても幸せな気持ちになった。



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by gonzalesK | 2009-08-30 12:46 | Life in Sydney

Fitness First ?

2009年7月2日(木)

オーストラリアに、”Fitness First” という全国展開しているフィットネスクラブがある。私が抱えるITPは自己免疫疾患だ。ここは運動でもして免疫力をあげようと思い立ち、以前から興味のあったヨガやティラピィスのクラスも参加することができる近所の”Fitness First”に通うことにした。

日本で大学院生活をしていたときは、両国から隅田川を超えて大学のある築地まで往復1時間の自転車通学をしていた。「難産に立ち会う助産師は、産婦と同様にフルマラソン並みの体力を消耗している」と言われるように、助産師として働いていた頃は、毎日走り回っていた。シドニーで生活するようになってからは、車社会にもまれ運動という運動をしてこなかった。

ヨガのクラスの前に、トレッドミル(電動走行器?)で有酸素運動をする。トレッドミルが何十台も置いてあり、みんな一生懸命に早足をしていたり、走ったりしている。私が通う時間は昼間なので、そんなに混雑はしていないだろうと思っていたのだが、意外とたくさんの人が運動している。みんな仕事もしないで、昼間から何やっているの?と自分のことを棚にあげて伺いたくなる。

それにしても、きっとマクドナルドの食べ過ぎで太ったに違いないという白人のぶよぶよのおじさんが、一生懸命トレッドミルの上で歩いているのを見ると、なんだか胸が痛む。おじさんもまた文明の被害者であるかもしれないけれど、一方で地球の裏側では、水や食料を得るために、途方も無い距離を歩いている子どもたちもいる。”Fitness First”なんていう名前は、思い上がった“先進国”の人がつけた名前に違いないだろう。food, water, education, sanitation, medication, house, work…..他にもFirstでなければならないものがたくさんあるのになあ、と自分もトレッドミルの上で走りながら、ぐちゃぐちゃ考えていた。

ヨガやティラピスのクラスでは、そのままスポーツ用品の広告に出ていそうな、手足の長い白人のお姉ちゃんたちがさわやかである。一方、ジャージ姿の中国系のだるま体型のおばちゃんたちもたくさん参加していて、安心する。思わず「おばちゃん、一緒にがんばりましょうね!」と声をかけたくなるほどに彼女たちに親近感も湧いて来る。

ヨガやティラピィスは全くの初心者だが、気づいたことがある。鼻から吸ったきれいな酸素を身体の隅々の細胞に届けようと意識することは気持ちよい、ということだ。分娩中に胎児の心音が下がったときに、「鼻から大きな息を吸って下さいね〜。赤ちゃんに酸素を届けてあげましょうね〜。」と言っていた現場に通じるものがあるかもしれない。

また、ヨガやティラピィスでは、ブリッジの体勢や腰を持ち上げる運動が多い。特に女性にとっては、骨盤内の臓器を時々逆さまにすることが何かしら健康にいいのかもしれないと感覚的に思った。

クラスでは波の音など癒し系の音楽をバックに、腹筋や背筋の運動など結構きついことをする。インストラクターが「息を吸って〜、はいて〜」と囁き、ヨガムードは満点だ。腹筋に効果がありそうなポースに取り組んでいたとき、突然“コケコッコー!”という鶏の鳴き声の携帯着信音がクラス中に響き渡り、中国系のおばちゃんが、中国語で大声で話し始めた。それを気にも留めずにインストラクターは、「吸って〜、はいて〜」と繰り返している。何でもありなところがやはりオーストラリアだなと思いながら、私は腹筋をぷるぷるさせていた。
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by gonzalesK | 2009-07-02 22:34 | Life in Sydney

シドニーの青い空と広い海のふもとで繰り広げられる日常をこんぶ風味でお伝えします
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