続こんぶの日記 KOMBU's diary from Sydney

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"Where are they now ?"

2011年6月27日(月)


ある秋の夜長、思わず見入ってしまったテレビ番組があった。オーストラリアのドキュメンタリー長寿番組、"Four corners"。それは、1980年代にポル・ポト時代のカンボジアから難民としてシドニーにやって来た家族たちの物語だった。世界にあまり知らしめられなかったポル・ポト政権下の強制労働の風景の映像、14000人のカンボジア難民を受け入れた豪州、ある難民の女性たちは、25年前に同じ番組で、来豪後にインタビューに答えていた。

そしてその女性たちが今、家族を持ち、子どもや孫を持つシドニーでの暮らしを、25年ぶりにテレビの前で再び語る、そんなストーリーだった。相次ぐボート・ピープルの来豪に、豪州の難民政策は、現在揺れている−そんな中、当時Killing fieldと呼ばれたカンボジアで、physical and emotional scars- 心身に深い傷を追った人々が、シドニーでその後どのように生活をしているのか。オーストラリアは彼女たちに何を提供し、彼女たちは、それにどう答えたのか、それを知りたいと思ったのが、彼女たちに再び会いたいと思った理由だった、とレポーターは冒頭で語った。

ある女性の25年前のインタビューの映像−「私たちはプノンペンで暮らしていました。父は大学の教授でした。ある夜、突然銃を持ったポル・ポトがやって来て、家を出るように脅かされた。それは父がいない日の出来事で、それから私たち家族はばらばらに、農村に送られて強制労働をさせられた。」と語る女性。タイの難民キャンプにやって来てからは、「Refugee; 難民」と認定されるために必死だった、そうでないと食べ物にもありつけないから、と。彼女は、両親を失い、妹と2人残された。

そして現在の彼女のインタビュー −来豪後は、昼間は縫製工場で働き、夜学で精神保健を学び、現在は精神保健施設で働いていると言う。その女性は、美しい英語で、「たくさんの人に助けられたから、人を助ける仕事をしたいと思った -I need to help others as well.」と言っていた。オーストラリアは、努力をすれば、機会が平等に与えられる国だとも。

その女性の「家は大切ー。私たち難民は、一生懸命働いて、お金が少しでも貯まったら、無理をしてでも家を買う。なぜかって、自分の家の中に、失った故郷をよみがえらせるために - Having a home is ...feeling belong, having a family, and having the country that we no longer had...」という言葉が、耳に焼き付いた。シドニーには、中華街の他にも、リトル・サイゴンと呼ばれるインドシナ半島出身の人々が集う町があるけれど、そこはそういった家族の集合体みたいなものなのだろう。

また、彼女は「私は、自称教育ママです。今、高校生の娘が2人いるけど、彼女たちにはしっかりと教育を受けさせたい。教育は一番大事です。カンボジアで父はいつも私に言っていた。教育が一番大事なんだと。家が焼かれても、お金を失っても、身に付いた教養は、いつまでも残り、自分を、家族を、コミュニティも養うことができる。」とも語っていた。

それにしても、パレスチナでボランティア活動をしていたときも、同じような話を聞いたな、と思った。エルサレム近郊の難民キャンプに住む高校生たちの教育レベルが高く、みんな流暢な英語を話すのに、私は驚いたものだ。難民キャンプの学校の先生は、子どもたちが世界とつながるために、教育はとても大事だと言っていた。ある高校生の女の子は、「私たちはね、自分たちの状況を、世界に伝えていかなきゃいけないの。さもないと、みんな私たちのことを忘れちゃうでしょ。正義はこの世の中にあるのですかって問い続けるために、英語を話さなければならないの。」と話してくれた。

カンボジア難民がシドニーにやってきてから、四半世紀が経ち、パレスチナの人々が故郷を追われてから、半世紀以上が経とうとしているけど−。現在でも、オーストラリアのクリスマス島には、たびたびボート・ピープルと呼ばれる人々が、イラク、アフガニスタンやスリランカから庇護を求めて命がけでやって来る。


ABC Australia Four corners website
http://www.abc.net.au/4corners/special_eds/20110627/cambodia/
1987年の番組も紹介されています。
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by gonzalesK | 2011-06-27 22:40 | Refugee- 難民

Tough refugee rules damage health - 厳しい難民政策、健康へのダメージへ

前述した彼女がシドニーに移住したように、第三国定住は難民の一種の解決法だが、それですべてが解決するわけではない。特にオーストラリア前政権は、厳格な難民政策を保持していたため、それが難民の健康被害につながっているという報告を目にした。

標題と以下は、雑誌Australian doctor, Feb 2009 の記事の和訳。

『BY Jenny Pogton :前政権の難民政策は、難民の心理的、社会的問題を引き起こしていたことが調査の結果明らかになった。現在は廃止された暫定保護査証(temporary protection visa) を保持していた難民のほぼ半数が、臨床的なうつ病と診断されていたが、永住権の保持者でうつ病と診断されたのは全体の25%に過ぎなかった(n=130)。

不確定な未来、社会的孤独、政策の制限から家族の再統合が制限され不正義を感じること、また政府の英語学習支援の不便さなどが、暫定保護査証を保持する難民の不安や怒りを引き起こしていた。

男性が、社会的地位や専門的な仕事と、それに伴うアイデンティティを失うことにストレスを感じ、それを率直に表出するに対し、女性は他の家族に迷惑をかけないように、ストレスや自分の問題を内在化する傾向がある。

48歳のイラク難民女性アリマは、“私は家族の面倒をみなければならないし、私の気持ちを誰にも話すことはできない。自分の気持ちはいつも内に秘めている。子どもたちにも自分の気持ちを話すことは出来ない、彼らを悩ませてしまうから。”

多くの難民が、強制拘留などを含めたオーストラリアの難民政策に対し、人権侵害であると怒りをあらわにしている。アリマは言う。 “私たちの伝統を知っていますか?私たちは、イスラム教徒です。女性は男性の医師にはかかれません。女性の医師にかからなければなりません。でも拘留所には、女性の医師はいません。私たちは、ただ自由を求めてここにやってきたのに、彼らは私たちを拘留し、私たちから一番大切なものを奪いました。それは−自由です。”

ヘルスヘアへのアクセスを提供することだけが、難民の将来の健康のために必要な因子ではない、と報告者は述べている。“難民の健康を決定づける鍵は、個人がどれだけヘルスケアにアクセスできるかという狭い視野ではなく、彼らに対する人権侵害の結果おこった心理的、社会経済的な問題に関連している。”と報告者は言う。

“政府へは、個人と集団の人権が擁護されなければ、健康への要求に応えられるような社会的状況を築くことはできない、と伝えたい。”

BMJ International health and human rights 2009; online 』


『難民はいつまでも難民なのだ。終わりはない。』ヨルダンのパレスチナ難民キャンプで難民の女性から聞いた言葉を思い出す。自分の子どもや孫までが、難民キャンプで産まれる現実からこのような言葉が発せられるのだろう。戦争は、その場限りの被害ではすまない。世代から世代へ、世界中で最も声の小さい人たちが、その代償を負わされている。

それでも『人が産まれる限り平和という希望を持ち続けたい』
−2007年学び舎に送った言葉。

文中和訳 by gonzalesK

 
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by gonzalesK | 2009-06-02 20:40 | Refugee- 難民

あるイラク難民女性

今年の1月、ある英語学校の試験に行ったときに、偶然イラク難民女性に出会った。50代くらいでバクダッド出身、産婦人科医をしていたという。難民としてシドニーにやってきたばかりで、政府の移民支援の一環として英語を無料で勉強できるので、シドニーで医師の資格取得にチャレンジするために勉強したいという。

オーストラリアは一般的に難民の受け入れ国で、現労働党政権も移民政策には手厚いと言われている。町のいたるところで、たとえば移民が無料で勉強できる英語学校や医療機関受診のパンフレットにも、「難民の場合はこの限りではないので、さらなるサービスについては問い合わせて下さい」といった表記がある。

落ち着いた彼女の物腰とどことなく寂しげな笑顔。「バクダッドですか。訪問したことがあります。」「いつ?」「2002年と2003年と。」「一番大変な時期じゃない。何かの支援団体から行ったの?」「そんな感じです。」そのときのバクダッドの状況を知っているだけに、私は何も言えなかった。彼女もそれ以上何も聞かなかった。ただ、「私は看護師だけれど助産師でもあります。お産に立ち会うのが好きです。」というと、「私もよ。」と彼女も笑った。いつか一緒に働けるといいですね、そう話して私たちは別れた。

その後、彼女と会うことはなかったが、今でも時々彼女のことを思いだす。シドニーで暮らして行くということは、彼女たちのような人たちと共に働き、生きていくことなのだと思うと不思議な縁を感じ、なんだか胸が熱くなるのだ。

以下は、日本国際ボランティアセンターイラク現地情報とバックナンバー
http://www.ngo-jvc.net/php/jvcphp_eplist.php?ThreadName=m01



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by gonzalesK | 2009-05-18 15:14 | Refugee- 難民

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